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genre : ライフ, 国際, 歴史, サイエンス

この絶望は、恋愛がうまくゆかなかったことも関係していた。雇用主の息子と愛し合うようになったのだが、無一文のガヴァネスとの結婚など論外として家族の反対にあったのだ。男の方はそれに立ち向かう強さがないことを、マリーはようやく思い知った(拙著『歴史が語る 恋の嵐』角川文庫参照)。

この失恋は人類科学史上の僥倖(ぎょうこう)だった。もしマリーが気弱な男と結婚してポーランドに留(とど)まっていたら、輝かしい未来はなかったろう。タイミング的にも良かった。姉のブローニャが約束どおり医者になって、マリーをパリへ呼びよせたのだ。マリーはしばらく逡巡(しゅんじゅん)した後、パリへ旅立った。

不遇に負けず、女性初のノーベル賞を2度受賞

ここから先はよく知られた話となる。彼女はフランス国籍をとり、フランス人科学者ピエール・キュリーと結婚、二人の娘を育てながら研究を続けた。ちなみに長女のイレーヌも後にノーベル化学賞を受賞している。

マリーのガヴァネス生活を描いた絵画はない。だが同時代のガヴァネス事情を、ロシアの画家ヴァシリー・ぺロフ(1834〜1882)の『商人宅へのガヴァネスの到着』が伝えてくれる。

ホガースと通じる、物語的ないし挿絵(さしえ)的作品だ。「商人」とわざわざタイトルに記し、尊大な様子の主人とその息子(そして壁に掛けられた祖父の肖像。三人ともよく似た風貌)から、教養のない成金一家であることが想像される。

質素な服に身を包んだガヴァネスはまだ若い。初めての職場なのだろう。相手の顔をまともに見られず、おそらく震える手で紹介状を取り出そうとしている。目の前の雇用主たちやドアの向こうから覗(のぞ)き込む使用人たち、また自分が教えることになる少女の、好奇心をあらわにした視線が痛いのだ。

当時、金持ち階級が求めるガヴァネスは、レディであることが第一条件だった。つまり中・上流階級出身で、しかるべき礼儀作法を心得ていなければならない。単に勉強を教えるだけでなく、品のある物腰を子どもたちに叩(たた)き込めることが大事だ。すると矛盾が生じる。この時代、仕事を持つ女性をレディとは呼ばなかった。従ってガヴァネスは、出自(しゅつじ)がレディでも現況はレディではない。要は没落した良家の娘の、数少ない仕事の一つがガヴァネスであり、憐(あわ)れむべき境遇ということになる。