「こんばんは~。星見える? 声、聞こえてる?」「キャンプに来てるよ!」
1月26日の夜、突如として始まったInstagramのライブ配信でキャンプ場から元気な声を届けたのは滝沢秀明(40)。その日は、なぜか屋外で自らの髪を染める“セルフカラーリング”の様子もストーリーズでアップしていた。
タッキーこと滝沢秀明がジャニーズを去って3カ月が経った。
「10月末日にジャニーズからの退所と、ジャニーズ事務所副社長及びジャニーズアイランド社長退任を発表し、いったい今後どうするのかと思われていました。11月にはTwitterとInstagramに肩書『冒険家』としてアカウントを開設、1月にはTikTokもスタートしてジャニーズ時代とは一変した自由な発信を続けています。先日のインスタライブは10分足らずでしたが、10万人以上の人が観ていました。
あの赤西仁や山下智久などの“辞めジャニ”とのSNS上のやりとりも活発で、長年のファンは大喜びです」(芸能デスク)
貧しい幼少期「家族の生活をラクにしたい」
1995年、13歳でジャニーズ事務所に応募し数週間後にはKinki Kidsのバックで踊っていた滝沢。だがジャニーズの一員となるまでには紆余曲折もあった。
「幼い頃に父が家を出て、シングルマザーとなった母が3人の子を育てていたそうで、裕福とはかけ離れた環境で育った。冬でも半ズボンにTシャツの薄着で過ごしたり、文房具は同級生から借りたり、子供たちで作る夕食は小麦粉を水で溶いたものを焼いて食べたりという日々だった。
そんななかどうにか家族の生活をラクにしたいと思いついたのは大好きだったプロレス団体に入って活躍すること。でも体格が小さくて断られてしまったといいます」(同前)
それならば、といくつかの芸能事務所に履歴書を送ったところ最初に電話をかけてきたのが、ジャニー喜多川氏本人だった。