2029年に創刊150周年を迎える朝日新聞。骨太の調査報道を根幹に、デジタルの展開や記者起点の情報発信など、新しい方法に挑戦する中村社長の思いに、『文藝春秋』編集長・新谷学が迫る。
中村史郎氏
株式会社朝日新聞社 代表取締役社長
新谷 学
聞き手●『文藝春秋』編集長
記者の意識を変えた「Hotaru」の導入
新谷 インターネットとスマホの普及で、新聞、雑誌を含むあらゆるメディアが、激動の荒波に飲み込まれています。中村社長とは問題意識が共有できていると思うので、ざっくばらんにお尋ねします。
中村 現状からお話しすると、昨年12月時点の発行部数は朝刊が384万部で、夕刊は122万部。紙の新聞は、50代以上の読者が半分以上を占めています。
新谷 『週刊朝日』も5月末で休刊しますね。扇谷正造さんが編集長だった1950年代には100万部を誇ったのに、なくなるのはショックです。出版業界は騒然としていますよ。
中村 発行元の朝日新聞出版としては大きな決断でした。

1963年生まれ。東京大学農学部卒業後、'86年朝日新聞社入社。国際報道部長、東京本社広告局長、執行役員編集担当兼ゼネラルマネジャー兼東京本社編集局長、副社長などを経て2021年から現職。
新谷 『AERA』より部数の多い『週刊朝日』をやめる理由は、デジタルとの兼ね合いですか。
中村 デジタルと広告収入ですね。
新谷 2029年の創刊150周年に向けて、朝日新聞はどういうメディアを目指し、企業としてはどのように存続していくのでしょうか。
中村 当社の収入はまだ7割くらいが、紙の新聞の購読料と広告料です。「ニュースはネットでタダで読める」という風潮が広がる中で、プリントメディア中心の事業構造では厳しいですよね。デジタルを成長させなければいけません。紙、デジタル、紙とデジタル以外の部分。それぞれでどれくらい稼げるのかを考えると、いまが端境期です。
新谷 デジタルへのシフトが喫緊なのに、紙の損失分を埋めるほど稼げていない。我々とまったく同じ悩みです。朝日新聞デジタルの有料会員数は31万人で、月間2億PVですね。順調に伸びているとお考えですか。
中村 順調とまでは言えませんが、質の面では大きな成果が出ています。他紙のニュースサイトとの比較では、利用率、ツイート数、検索数、LINEの友達の数の4つでトップです。
今年度の新規獲得会員は女性が半数を超えて、年齢の中央値は40代になっています。読まれ方の分析を重ねたことで、紙の新聞でのリーチが難しくなっている女性や若い人たちに読まれるようになってきたんです。
新谷 どういう施策ですか。
中村 たとえば女性の会員が多いLINEに訴求する際は、記事のラインナップを変えます。
新谷 政治やウクライナ情勢がトップニュースとは、限らないわけですね。
中村 そうです。「Hotaru」というシステムを社内で独自に開発して、どのニュースがいつどんなふうに読まれているかというデータを、すべての記者が見られるようにしました。自分が発信した記事も検索できるので、読まれ方に関する記者の意識は急速に変わっています。
新谷 それはぜひ、弊社にも導入したいです。
中村 自分たちの企業価値とは何なのかを考えると、やはりジャーナリズムの力が朝日新聞というブランドを作り、ブランドがコンテンツ作りを支えています。いまの時代に求められるクオリティーメディアの在り方を、荒波に揉まれているこの時期に、しっかり考える必要があります。
新谷 多くの新聞がある中で、朝日らしさが伝わるのは、どういう記事でしょうか。

1964年生まれ。早稲田大学卒業後、文藝春秋に入社。『Number』他を経て2012年『週刊文春』編集長。'21年7月より現職。
中村 まず、骨太の調査報道です。この5年間に、編集部門の新聞協会賞を3回受賞しました。森友事件に関する財務省の公文書改ざん。LINE利用者の個人情報が韓国のサーバーに保管され、しかも中国の関連企業からアクセスできる状態だったというスクープ。国交省による基幹統計の書き換え。どれも朝日新聞が報じなければ、世の歪みとして放置されていた問題です。
新谷 記憶に残るスクープばかりですね。調査報道は、雑誌が存続するためにも欠かせません。
中村 オピニオン面の質の高さにも、他紙とは違うという自負があります。読者の投稿を紹介する「声」欄も、ひとつのテーマで意見を募集して、フォーラム的な機能を意識している点が評価されています。
新谷 オピニオン面は、確かに面白いです。
中村 テーマの取り上げ方や切り口、「耕論」ページに登場してもらう識者のバランスなど、工夫しています。
新谷 政権を厳しく監視する姿勢は、変わっていませんか。
中村 当然、私たちの大事な使命です。評価すべき点は評価し、批判すべき点は批判します。私は編集局長時代にも言っていたんですが、批判される側が「朝日め、こんなことを書きやがって」と思いながらも、「痛いところを突かれた」「これなら仕方がないな」と納得してくれるのが理想ですよね。
新谷 社論というのは、受け継がれているものですか。
中村 「民主主義の堅持」「平和主義」といった理念は引き継がれていますが、そもそも社論とは何なのか。社説も、イコール社論ではありません。論説委員室で議論してまとめたオピニオンだからです。社説という言葉が時代に合っているのかな、という思いもあるんです。

記者と読者が繋がる新しい仕組み
新谷 社論や社説を高く掲げるより、個々の記者の顔と名前が見える発信こそ大事ではないでしょうか。自分がこうして誌面に出ていることの言い訳めいてしまいますけど(笑)、個の時代が加速してきていると思うんです。取材のプロセスも含めて説明していかないと、記事のクオリティーの高さが伝わりづらい時代になっています。
中村 そう思いますね。スーパーの野菜売り場では「この野菜は私が作りました」と、農家の方の顔写真と名前がついています。その人を知っているわけじゃないのに、覚悟を示しているのだから信頼できると感じるように。
新谷 少々高くても、買ってしまいますよね。朝日には、博識で取材力があって原稿も上手な名物記者が、たくさんいます。個々が愛読者と繋がる形の集合体になれば、強みが増すのではないですか。
中村 そういう形を目指しているんですよ。朝日新聞デジタルでは、専門家がニュースに解説を加える「コメントプラス」が人気です。この記事は捉え方が違うとか、踏み込みが足りないなどと自由に書かれるので、ニュースが相対化されるんです。コメンテーターには外部の識者62人のほか、取材経験豊富な記者73人が加わって、多様な意見が交わされています。
取材のプロセスや裏話を記者自身が音声配信で語る「朝日新聞ポッドキャスト」も伸びています。2020年8月にスタートして、再生回数が4700万回に達しました。39歳以下のリスナーが3分の2で、1割は海外で聴かれています。

新谷 「記者サロン」というのは、読者を招く催しですか。
中村 コロナ禍で基本的にオンラインでしたが、いまはハイブリッドでも開いています。いずれもファンを増やして、好循環を生み始めています。 記者たちの個性は、大事にしたい。けれども朝日新聞的な行儀のよさから逸脱すると、内外からハレーションがあったりもします。

新谷 内のほうが面倒ですね、そういう話は大抵(笑)。
中村 私には30歳と25歳の息子がいるんですが、長男は漫画を雑誌で買います。Z世代にかかる次男は、読みたくない漫画にお金を払う意味がわからないと言って、読みたい作品だけサブスクで読むんですよ。デジタルになるほどバラ売りが中心になりますから、ますます個を際立たせなければいけません。
新谷 デジタル分野ではバーティカル・メディア(特定分野に特化したメディア)も数多く展開しています。
中村 コンテンツを広げたいのでいろいろとチャレンジして、スクラップ&ビルドを続けています。20代後半から40代前半の女性の課題に向き合う「telling,」や、認知症専門サイトの「なかまぁる」などは、収益を伸ばしています。相続の悩みにお応えする「相続会議」というサイトもやっていますよ。
女性リーダー育成と男性の育休取得率UP
新谷 昨年10月に公表された「ジェンダー平等宣言+」は、社内の女性リーダー育成が目的ですか。
中村 2020年に「ジェンダー平等宣言」を発表して、「ひと」欄の登場者の男女比をほぼ半々にする改革を行ないました。同時に、メディアに対する世間の目が厳しくなって、「偉そうなことを書くけれども、お前の会社はどうなんだ」と問われる機会が増えています。現在、女性の管理職は14%、役員は25人中4人です。新聞社としては多いほうですが、もっと増やさなければいけません。男性の育休取得率も2021年度に34%に達しましたが、もっと上げなければいけません。
新谷 中村社長ご自身のことを伺うと、天文学者になりたかったそうですね。
中村 本気でした。ところが松江から出てきて大学に入ったら、一番得意だった数学でついていけなかった(笑)。以前から本多勝一さんや本田靖春さんのルポをよく読んでいましたし、大学新聞に入ったので新聞作りに興味をもちました。
新谷 ハワイ島にある国立天文台のすばる望遠鏡に設置した「星空ライブカメラ」の映像をYouTubeで流す「朝日新聞宇宙部」というのは、ご自身の発案ですか。
中村 それはまったく関係ないんですが(笑)、こういう仕事をしているとストレスも溜まるので、流星群の映像などをiPadで見ながら眠りにつくことはありますね。
新谷 文藝春秋が朝日新聞への批判記事を定番にしてきたのは、朝日がこの国に絶対必要な報道機関であって、リスペクトをしているからです。中村社長は今年の一文字として「破」を選ばれたそうですが、新聞の旧態依然とした部分を朝日が率先して破壊していってほしいですね。
中村 新聞も雑誌も同じですが、ジャーナリズムに携わる者にとって一番大事なのは、民主主義を支えるインフラを担っているという矜持です。それがなくなってしまえば、朝日新聞たる意義がなくなります。ですから残すべき点は残しながらデジタル時代の新聞社像を描き、「朝日新聞を創り直す」というスローガンを実現します。

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Text:Kenichiro Ishii
Photograph:Miki Fukano
Design:Better Days
