12年前の東日本大震災で甚大な津波被害を受けた宮城県石巻市に、異色の経歴を持つ漁師がいる。ワタキ水産の渡辺隆太さん(38)。震災後、パン職人から家業の漁師を継いだ。廃業の危機や病気を乗り越え、県特産のホヤの加工やホタテ養殖で故郷への恩返しを誓う。
漁師はずっと嫌いだった。早朝から作業に追われる両親を見て「この世で一番きつい仕事と思った」のが理由だ。高校卒業後、自動車工場に就職したが、幼少期から夢だったパン職人になろうと1年で退職。地元石巻から遠く離れた大阪の専門学校に通った。
卒業後は神戸市でパン職人として働いた。勤務は長時間に及び、休みもなかなか取れなかったが、夢だった仕事でやりがいがあり、愛着もあった。
転機となったのは震災だ。地元にいた父は船で沖に逃げ、母と兄は山に避難するなどして無事だったものの、実家は津波で全壊。ホタテ漁に使う養殖施設や資材は全て流され、再開できるかは不透明だった。
「家業は嫌でも、家族が作るホタテは自慢できるうまさ。絶対残したかった」。両親を手伝うため、漁師を継ぐことを決めた。いかだの再設置を一から始め、育ちやすい養殖ホヤの生産からホタテ漁再開の糸口を作った。
決断の裏には、自身の病気もあった。妻富美子さん(37)との間に息子が生まれて約2カ月後の2010年7月ごろ、右顎にステージ2の骨肉腫が見つかった。摘出はしたが、抗がん剤治療で入退院を繰り返し、体重は20キロ落ちた。「パン屋に復帰するのは大変だが、家業の手伝いならできるのもあった」と振り返る。
実家に戻った後、富美子さんは弱音一つ吐かずに家業を手伝ってくれた。夫婦二人三脚で作った味付けホヤの商品は今年1月、県水産加工品品評会で知事賞に選ばれた。「パンで培った食品へのこだわりがある。味付けは主に妻の担当だが、2人で味見を重ねて決めていたので、おいしい自負はあった」と話す。
今後は本業のホタテ養殖を続けつつ、ホヤの加工品にも力を入れるつもりだ。「地域の復興と家族のためにここに戻った。ホヤの認知度を高め、消費量を増やして地域に恩返ししたい」と力を込めた。
