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「海外では10年で栽培面積がほぼ倍増」なのに、日本で「有機野菜」が流通量の1%にも満たない“本当の理由”

2023/03/22
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ノンフィクション作家・奥野修司氏による「ルポ 農家が嘆く『有機栽培』の壁」の一部を転載します。(「文藝春秋」2023年4月号より)

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「虫が死んじゃうわけだからね」

 成田空港にも近い千葉県北部。見渡すかぎり灰褐色の畑が広がっていた。知人の農業関係者が運転する軽四輪は農道を駆け抜けると、一軒の家の前で止まった。ニンジンを中心に「慣行栽培」をしている農家だ。農薬や化学肥料を使わない「有機栽培」に対して、農薬や化学肥料を使う栽培法を「慣行栽培」という。

 長年、私は農薬の害について取材を重ねてきた。病害虫を殺し、雑草を枯らす農薬が、人間の健康に良いと思う人はいないだろう。日本人の多くは安心安全な食品を求めているのに、国産の有機野菜は出回っている量の1%にも満たない。なぜなのか。その背景には、消費者には伝わってこない生産者の事情があるのではないか。東北から九州まで、畑を見ながら生産者の声に耳を傾けた。

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有機栽培されている大根 ©文藝春秋

 まず訪ねたのが、巨大な消費地を抱える首都圏の農家だ。開口一番、農薬を手放せない理由は「連作障害だ」と言う。毎年、同じ畑で同じ作物を植えると土壌のバランスが崩れて病原菌などが増え、野菜が育ちにくくなることを連作障害という。これを抑えるのに農薬で土壌を消毒する。ただし、土壌消毒によく使われる農薬のクロロピクリンは、EUで禁止されているほど毒性が強いことは、消費者はもちろん農家にもあまり知られていないという。

「農薬を使わないと、市場が求める規格に合わないものができて安く買いたたかれるし、量が揃わなければ他の産地にシェアを奪われる。だから無理して使っているんです。土地を休ませればいいけど、耕地に余裕がないから無理でしょうね」

――連作するとどうなるんですか?

「ニンジンに黒いシミのようなものが出ます。食べても味は変わりませんが、シミが1個か2個だと見た目が悪いということで、等級が下がって買い叩かれ、3個以上なら捨てています。出荷する野菜には形や重さに細かい規格がありますから、つい農薬を使ってしまうんです」

 連作がやめられない理由には機械化もあるという。農機具はとにかく値が張る。ベンツを買うほどの値段は当たり前の世界だ。人手が足りないから機械に頼り、その機械に合わせた単一品種を大規模に作付けするようになる。農作物を工業製品のように大量生産すると、どうしても病気など歪みが生まれるのだろう。

「前は畑で掘ったニンジンを箱詰めしていましたが、今は機械で掘ってフレコンという巨大な袋に落とします。落とす衝撃で割れるから、硬いニンジンを植えていますが、味は良くない。おいしい品種を作りたいのに、借金して機械に投資しているので、そうせざるを得ないんです」

――農薬についてはどんな思いで使っていますか?

「安全だと言われても、虫が死んじゃうわけだからね。体にいいとは思いませんが、基準値内で使用すれば安全だと思っています」

 案内してくれた農業関係者が農協の作成したA4判の冊子を見せてくれた。野菜の栽培マニュアル、というか虎の巻である。どんな農薬をいつどれくらいの量を散布すればいいか懇切丁寧に綴られている。ニンジンはやはり土壌消毒から始めるようだ。ふる回数がもっとも多いのはナスで、冊子の指示通りなら年間に60回も農薬を撒くことになる。

「こんなに使っているんですか」と思わず声をあげる。「そうだよ、知らないのは消費者だけ」と、知人はそっけなく言った。「書いてある通りにするわけじゃないけどね」と笑うが、半分でも不安になりそうだ。この農薬が作物に残っていれば、私たちは農薬を食べることになる。