しかし、残念ながら救済法は施行前の事案には適用されず、中野さんの訴訟は対象外となってしまった。
一方、この救済法に関する議論の中では、この「念書」に関わる問題について、改めて整理された。その結果、これまでの判決とは違う方向で念書が捉えられるようになったのである。
この救済法について解説した消費者庁の資料では、念書について「寄附の返金を求めない旨の念書は、民法上の公序良俗に反するものとして、無効となり得る」と説明。さらには「『返金逃れ』を目的に個人に対して念書を作成させ、又はビデオ撮影をしていること自体が法人等の勧誘の違法性を基礎付ける要素となるとともに、(中略)損害賠償請求が認められやすくなる可能性がある」とまで言い切ったのだ。
つまり、念書の存在は教会側の「正当性を裏付けるもの」ではなく、返金を阻止しようとする「違法性をあぶりだすもの」に変わったと言えるだろう。
岸田首相「不法行為認定されやすくなる可能性」
中野さんの事例については国会でも取り上げられている。
1月30日の衆議院予算委員会では、立憲民主党の山井和則議員が中野さんの被害状況をパネルで示しながら「返金逃れを目的とした念書は、念書がない場合よりも逆に勧誘行為の不当性が認められやすくなると考えてよいか。念書のみならずビデオ撮影までされた場合は、違法性を基礎付ける要素が加算され不法行為が認められやすくなるか」と岸田文雄首相に質問した。
これに対し、岸田首相は「個別の事案は裁判によって判断される」と前置きをしながらも「損害賠償請求をしないことや返金逃れを目的とした念書の作成、ビデオの撮影、さらにそのような行為を重ねて行っていることが、むしろ法人等の勧誘の違法性を基礎付ける要素となるとともに、民法上の不法行為が認定されやすくなる場合がある」と答弁した。
この答弁内容を踏まえて最高裁が判決を下すならば、地裁、高裁とは違う結果になるのではないか。