実はこれはサンリオに限った話ではない。
この時代、長崎オランダ村(1983年設立、2001年閉鎖)、スペースワールド(1990年設立、2017年閉鎖)、ナムコ・ワンダーエッグ(1992年設立、2000年閉鎖)、東京セサミプレイス(1990年設立、2006年閉鎖)、松竹の鎌倉シネマワールド(1995年設立、1998年閉鎖)、ウルトラマンランド(1996年設立、2013年閉鎖)と、多くのパークが初期の大型投資と、その後の周辺人口の来客数・顧客単価が合わず、最初の3~5年で大赤字、10年後には再建・撤退検討となっている事例が珍しくなかった。
それでもサンリオが継続できたのは、テーマパークが専業ではなく、あくまで本業を支援する事業としての位置づけがあったからだろう。
なぜ世界中で店舗を運営したのか
サンリオは「空間演出」に重きを置いてきた企業だ。単にモノを置いて売る場所ではなく、ユーザーが心の充足感を味わえる空間を演出するため「ギフトゲート」(1971年~)、顧客層をより大人に向けた「vivitix」(1996年~)という直営店舗そのものにもコンセプト別に店舗にブランドをもたせた展開をしてきた。
提携店舗であっても同様で、伊勢丹の「ギフトイン」や高島屋「いちごプラザ」など、百貨店ごとにすらブランドを付け替え、20世紀にいち早く“身近なテーマパーク的空間”を先駆けてきた企業でもあった。
これはディズニー社が初めて直販事業を手掛けた「ディズニーストア」(1987年~)の10年以上前から手掛けてきた話だ。
2003年には国内で直営でも160店舗、百貨店・量販店・専門店も合わせると1470店舗(現在のゲオやTSUTAYAと同じくらいの国内店舗規模)。
北米を中心に海外にすら直営21店舗含む400店舗、取扱店にいたっては2万店舗という広大な流通・小売のネットワークを敷いていたことは20年経つ現在でも信じられない数字だ。