“宗教2世”の子どもは信仰を拒否できない。母親が新宗教の信者だった紫藤春香さんは「修業として6歳から火渡りをさせられ火傷した。中学生になって『神はいない』と言うと、母親から呪いの言葉をかけられた。今日もどこかの家の子が『信仰』の名の下に、親から暴言や暴力を受け、経済的基盤を失い、孤独に苛まれているかもしれないことに思いを馳せてほしい」という――。
※本稿は、横道誠(編)『みんなの宗教2世問題』(晶文社)の一部を再編集したものです。
ウィキペディアにも載っていないローカルな新宗教
わたしは宗教2世だった。とある「新宗教」の。
「新宗教」と聞いて、あなたはどのようなものを思い浮かべるだろうか。やはり今話題の統一教会だろうか。それとも創価学会、あるいはエホバの証人だろうか。生長の家・幸福の科学・眞光教・天理教・実践倫理宏正会……。さまざまな「新宗教」をあなたは思い浮かべるかもしれない。でも、あなたの推測が当たることはおそらく一生、ない。
この国には、メディアで取り沙汰されるよりも、もしかしたら政治家や宗教学者が把握しているよりも、はるかに多くの「新宗教」がある。土着の、場合によっては各家庭独自(!)の、知られざる「新宗教」が、この社会には無数にある。
わたしの母が帰依していた新宗教は、ウィキペディアの「新宗教」の一覧にすら載っていない。わたしが2世として関わった新宗教は、そのような誰の目にもとまらぬささやかな信仰である。
子どもの頃はイタコ婆さんの家に毎週通った
とはいえ、その信仰はきっちり過酷なものだった。「伝統宗教」とは一線を画した、非現実的な教義を持ち、理不尽としか言いようがない実践を持っていた。物心がつくよりも前から、わたしは週末になると、車で片道2時間ほどかけて、とある山へ連れて行かれた。そこでまた長い時間をかけて七つの社がある神社を丁寧に参拝し、その後80歳か90歳のイタコ婆さんの家に向かう。