反抗すると激怒した母は「おまえがこの家を滅ぼす」
母はわたしに、「信仰は強制されてするものではない」と言う。その言葉を鵜呑みにするほどピュアで、それでいて勉強熱心で、年齢の割には賢かったわたしは、中学生になるタイミングで、無神論を唱えた。「神様なんて本当はいないんでしょう?」「こんなにつらい思いをして尽くしても、女だからというだけで神様に嫌われるなんておかしい」「教えの方が間違ってる」。そう口にした。
それを聞いた母は目をひん剥き、みるみる青ざめ、激怒した。
その日から母は、毎日のように、わたしに呪いの言葉を吐き続けた。「おまえがこの家を滅ぼす」「おまえのせいでこの家は終わる」「おとなになったら不幸な自分に気がつくだろう」。親の呪いは、見事に効いた。おかげさまでわたしは今に至るまで、独身・子なしの反出生主義者である。
閉鎖的な家庭環境で暴言と体罰と性的暴行を受けた
母がわたしに与えたのは、言語的な虐待だけではない。わたしの日常には、「しつけ」と称した暴言のほか、体罰が、そして性的暴行があった。
教えに背く不届きな輩は、子どもであっても「家」に仇なす「敵」となる。だから、どのような手段を用いても、「矯正」されなければならなかった。親にとっては、「信仰」がとにかく優先順位の一番にあり、それ以外の道徳とか倫理とか正義とか常識とか子どもの人権とかは存在していなかった。
宗教2世にとっての困難、その一つは「閉鎖性」にある。多くの非現実的な、あるいは反社会的な宗教は、信者に選民意識と優越感を植え付けて洗脳する。そして信者である親は、その手法を覚え、模倣し、自らの子どもにさえも手法を駆使し、囲い込む。
「うちはうち、よそはよそ」。親から、この言葉を何度も聞いた。「うち」では信仰が当たり前であり、疑う必要などない。なんなら信仰がない「よそ」は不幸な立場ですらあるのだ、と。