それから、いったいどんな事情があったかは知らないのですが、父は母の言うことを聞かなくてはいけないような状況になったらしく、父には恋人がいたのになぜか母と結婚することになりました。母は父に創価学会に入信してくれと頼んで、一度は父もそうすると約束したらしいんです。なので、おそらくそのせいだと思うのですが、両親の結婚式の写真を見ると、父方の親戚は誰も来てないんですね。母方の親戚、親戚というか家族兄弟だけが来ている。ふたりは結婚しましたが、結局、父は約束を破って入信せずに、母だけが熱心で、父は母の信仰に反対するというのが、私が生まれた段階での夫婦の関係です。
私は東京で生まれましたが、3歳のときに埼玉県に引っ越して、それからいまに至るまでずっと埼玉です。3歳下の妹がいて、いまでも姉妹一緒に住んでいます。
母は宗教活動で家を空けネグレクト状態で育った
子どもの頃は座談会という行事に連れて行かれて、一緒にご本尊様のまつられている仏壇にお祈りを捧げる、お題目するということを日常的にやっていました。母はほとんど宗教活動に時間を取られていたため、私と妹はほぼネグレクトのような状態でした。私もまだ幼かったから、記憶違いもいろいろあるかもしれないのですが、母は夜にほとんど家にいませんでした。学校から私たちが帰ってくる時間には不在です。ご飯を作りに一度は帰ってきてくれるのですが、食べおわると、また母は一人で出て行く、たまに私と妹も連れられていく、というのが基本的なスタイルです。でも多くの夜は、私と妹とふたりだけで過ごしていました。
父は仕事人間、プラスお酒の飲み会があると絶対に参加して、帰ってくるのはほとんど「午前様」状態だったので、小さい頃は父に会う時間が少なかったです。週末になると、父の友だちがうちに集まってきて、土曜日と日曜日はずっと麻雀をしながらお酒を飲んでいました。麻雀をしている横でも母がお題目をあげているという奇妙な状況の中で、私と妹はふたりで部屋にこもってマンガを描いていました。これが小学校時代です。