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「池田先生」と崇拝する母にはついていけなかった

母は熱心に池田大作さんを信仰していました。仏や日蓮ではなくて、なんといっても池田さん。座談会では、御書の勉強といって日蓮さんの勉強をしていたはずですけど、でもみんな、ちゃんと勉強していたのでしょうか……。うっすら勉強はしていた記憶もあるのですが、基本的にはいつも「池田先生、池田先生」でしたね。池田先生を称える歌を、私たちも無理に歌わされていました。

勤行をあげろとか、題目しろということは、いつも言われていました。ただ正座をして30分とか1時間とか、お題目をあげるのは子どもにはとてもきつかったので、私はすごくサボっていました。ですから、宗教活動をもっとしっかりしろと、ほかの宗教2世ほど言われていないのかもしれません。母からは、「絶対に人の悪口を言ってはいけない」とか「誰かに対して怒ってはいけない」「嘘をついてはいけない」「姉妹喧嘩はだめ」などとしつけられました。わりと普通のことなので、逆にそれは宗教の教えなのか母の教えなのか、私には区別がついていない点が多いんです。

納得できる答えをくれない学会のおとなたちにもやもや

日曜日になると、少年部という集まりに連れて行かれて、時間を取られる。午前中だけだったので、そんなに長時間を潰されたということでもないんですが、とても嫌でした。学年があがって、集まりでおとなたちが話していることに反論すると、すべて宗教用語で丸めこまれるのはおかしいと思っていました。創価学会のいわゆるご本尊様は紙なんですが、私が「ただの紙じゃないんですか?」「なんで紙に力があるんですか?」と質問したら、「うっ」とみんな言葉に詰まったあとで、「普通の紙とお金は違いますよね。紙幣は違いますよね。それと同じようなことです」と返答するわけです。ちゃんとした答えをくれないことに、もやもやしました。

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私の中にも、いまだに罰があたるという考えは残ってしまっているんですね。アダルトチルドレン、つまり親子関係がうまくいっていない機能不全家庭で育った人の周囲では、親から逃げろという原則が流通していますが、宗教が関わっていると親から逃げるのも大変だし、親や教団との関係を切って、家族としての交流は続けることもできない。親と自分という一対一の関係だけではなくて、背後に教団があるから何100万人対1ということになる。自分の心のうちにも罪とか罰とかの考えを取りこんでしまっているから、自分の人生を立てなおすのに、ものすごい余計な力を使わなくてはいけない。宗教2世は大変なことだらけです。

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