富士の教団総本部は汚くて嫌でたまらなかった
イニシエーションで代表的なものとは、たとえばシャクティーパットです。これは尊師、麻原彰晃や幹部の上祐史浩さんのエネルギーを入れていただく、額に入れるという秘儀ですけれども、それを受けるためのノルマがありまして。教学システム何級まで合格とか、なんとかの修行何十時間、何百時間達成とか、そういうものがありまして、それをすべてクリアするために、私は学校のあとも土日も徹夜で全部費やすような生活でした。
私たちは関東地方に住んでいたので、青山の道場や、亀戸の道場や、杉並の道場に、そのとき行かなくてはいけない道場に通っていました。富士の総本部にも通っていましたし、上九(山梨県の上九一色村)にも通っていました。富士の総本部は、ネズミがいっぱいいて、寝ているとネズミに顔を蹴られるような汚い場所です。上九は建物が骨組みで、壁がコンクリートで、屋根も鉄板が見えるような倉庫みたいなところに、チェンバーといってアルミのステンレスのような壁があって、個室がいくつもあるような、そして、畳ではなくてウレタンのような絨毯が敷き詰められているような倉庫です。
死を覚悟するような厳しい修行
道場はなにしろ汚い。想像を絶する汚さです。嫌で嫌でたまりませんでした。なぜ逃げなかったのだろうかといまだから思いますが、当時はマインドコントロールを受けていて、上の世界に生まれ変わるには、穢れとかカルマを落とすことが優先されて、私がその上のステージに上がることによって、信仰していない父や家族も救われると教えられていて信じておりました。家族を人質に取られているような状況で、ひたすら努力をしました。
いちばん印象に残っているというか、いまでもトラウマなのが、年末年始などにおこなう集中修行があるんですけれども、その席で私は高熱を出したんです。最終的には水疱瘡だとわかったんですけれども、誰も手当はしてくれず、飲まず食わずで寝ないような修行を、10日間ぶつ続けでやっておりまして、ほんとうに死ぬかなと、死を覚悟するような瞬間が何回もありました。