それが偶然にも私がサーカスにいた時に芸人たちのリーダー的存在だった八木さんという人でした。キグレサーカスは2010年に廃業しているのですが、どういう場所だったのか、当時サーカスで一緒に暮らしていた人に聞いてみたいと思い、八木さんに会いに行きました。
――サーカスにはどんな思い出があるんですか。
団員の人たちから「れんのサーカス狂い」と呼ばれるくらい本当にサーカスが好きでした。私は4歳の時、母に連れられてサーカスに来て以来、ほぼすべての公演をひと月以上にわたって見続けていたそうです。どれだけ走り回って遊んでいても、ショーの始まる音楽が聞こえれば「あ! サーカスが始まる」と大天幕へ一目散に向かったのを確かに覚えています。
炊事係として働く母に「サーカスに出てほしい」と何度も言っていたので、母は「あんたも舞台に出ればいいっしょ。サーカスに来て一輪車もできんのは恥ずかしいぞ」とみんなにからかわれ、ほとほと困り果てたようです。
淡い記憶にどんどん言葉が与えられていくような感覚
――取材の結果はどうでしたか。
当時のことを知る人たちに話を聞いていくと、自分の頭の中にある淡い記憶に言葉が与えられていくような感覚がありましたね。当時の自分がどのように暮らしていたのか教えてもらうことによって、「ぼんやりと覚えていたサーカスの思い出は、本当にそこに存在していたことなんだ」と確かめることができたように思います。
話を聞きに行った人の中には、それまでサーカスにいた時のことを他人には話さないで生きてきたという人もいました。サーカスは夢を売る仕事なので、舞台裏のことをあまり人には話さないところもあったようです。でも、私が少し特殊だったのは、その人たちと一緒に住んでいたということです。たった1年だけはあったけれど、それでも同じ釜の飯を食った仲間、という気持ちがみなの中にあったのだと思います。
サーカスのことを本に書きたいと思ったのは、これは自分にしか書けないことかもしれないという気持ちが、話を聞くうちに大きくなっていったのも理由でした。当時のサーカスを形作っていた人たちの記録として、聞いてきた話を本という形に残すことが自分にとってすごく重要なことなのだと、だんだん思うようになりました。