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NHK大河の信長像とはまったく違う…自分を苦しめてきた武田勝頼の首を前に信長がとった意外な行動

source : 提携メディア

『信長公記』には、勝頼の首が信長に進上されたことは書かれていますが、信長の感想までは記されていません。ただ、勝頼ら武田家の者が、最後の戦いにおいて、比類のない働きをしたことが同書に記されています。

ただ、江戸時代中期の岡山藩士で儒学者の湯浅常山(1708~1781)が戦国武将の逸話を纏めた書物『常山紀談』には、勝頼の首実検の別の様子が記されています。

悪態をつき、杖で突っつき、最後は足蹴り

勝頼の首を見た信長は「さまざまに罵りて、杖にて二つつきて後、足にて蹴」ったというのです。つまり、信長は勝頼の首に向かい、悪態をつき、杖で突っつき、最後は足蹴(あしげ)にしたというのです。

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かつて、信長は勝頼の父・信玄の徳川領への侵攻(1572年10月)を聞いて「信玄の行動は、侍の義理を知らぬもの。武田と手を結ぶことは二度とない」(11月20日、上杉謙信宛書状)と激怒しました。そうした経緯を考えれば、武田二代(信玄・勝頼)に対する鬱憤を晴らすため、激しい行動をしてもおかしくないと思われます。今回の大河ドラマでは信長は攻撃的な言動が目立ちます。そうした信長像とも一致します。

ただ私は、信長はそうはしなかったと思っています。『常山紀談』が信憑性に欠けることもありますし、浅井長政や朝倉義景らとは一味違う感情を、信長は勝頼に抱いていたのではないでしょうか。それは、『三河物語』などの信長の言葉から推測すると、簡潔に言えば「敵ながら天晴れ」という想いだったでしょう。

濱田 浩一郎(はまだ・こういちろう)
作家
1983年生まれ、兵庫県相生市出身。歴史学者、作家、評論家。姫路日ノ本短期大学・姫路獨協大学講師を経て、現在は大阪観光大学観光学研究所客員研究員。著書に『播磨赤松一族』(新人物往来社)、『超口語訳 方丈記』(彩図社文庫)、『日本人はこうして戦争をしてきた』(青林堂)、『昔とはここまで違う!歴史教科書の新常識』(彩図社)など。近著は『北条義時 鎌倉幕府を乗っ取った武将の真実』(星海社新書)。
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