“先生”は、存在するだけで脅威を与える可能性がある
同業者批判をしたいわけではない。かくいう私も振付師として“先生”と呼ばれる側の人間だ。この原稿を書いている今も、自戒を込めずにはいられない。もしかしたら自分だって、知らず知らずのうちに加害者になっていた可能性はある。
そんな私が年齢を重ねるごとに実感するのは、「存在するだけで脅威を与える可能性がある」ということだ。
振付師として活動を始めたのは20代半ばだった。当時から指導していたのは中高生の子たちだったから、年齢差がさほどない状況だった。どちらかといえば先生と生徒というよりも、姉妹のような関係性だったように思う。
だが、私がキャリアを積んでいくごとに、教え子たちとは当然ながらどんどん年齢が離れていき、今では自分の姪っ子、ともすれば娘ともいえる年代の生徒を抱えている。
だがどんなに大切でかわいがっていたとしても、親しくなっても、彼女たちは私の子供ではない。
同性でも、キャリアや年齢差があるだけで……対等にはなり得ない、ということを「先生側が」意識しなければならないのだと思う。
これはなにもアイドル業界に限った話ではない。女性の場合、フィジカル的にも物理的にも敵わない男性相手であるならばなおさらだ。
なぜ“先生”は立場に溺れてしまうのか
そもそもなぜ“先生”と呼ばれる立場の人間は、自分の脅威性になかなか気づけないのか。どうしてその立場に溺れてしまうのだろうか。
その背景には、メディアが煽動してきた「怖い先生像」、そして「業界のガラパゴス化」が大きく影響しているように思う。
思い出してみてほしい。今までテレビで放送されてきたアイドルのドキュメンタリーやオーディション番組での“先生”たちの姿を。
大声で怒鳴ったり、長時間立たせて叱責したり、強い態度で萎縮させたり……私たちは幾度となく芸能界の「厳し過ぎる先生」を目にしてきた。
しかし、私自身もテレビのオーディション番組で審査員を務める機会が増えてわかったことだが、「とにかく厳しめにやっちゃってください」などと演出が入ることはとても多い(私はできる限りそうした声を無視してきたが)。