再び走り始めて気付いたこと
そして僕はこの取材をきっかけに、もう一度走ってみようと考え始めた。ダイエットをがんばっていたころ、僕は「痩せる」という目的のために苦痛を我慢して走っていた。そうではなくて、今度は好きなように走ってみようと思ったのだ。
小学校に上がる前、近所の道路や公園を何も考えず、好きなように走ることが楽しかったように、「目的」なんかないほうが、走ることそれ自体の楽しさに純粋に触れることができるんじゃないか、と考えたのだ。
こうして僕は再び走り始めた。今度は何かのためじゃなくて、走ることそのものを目的に走ってみた。タイムも距離も、気にしないことにした。疲れたら歩くし、のどが渇かわいたらコンビニエンスストアで水を買うし、やめたいときにやめると決めて走り出した。
最初は朝に、近所の公園を走ってみた。びっくりするくらい、気持ちよかった。僕が住んでいるのは東京のどちらかと言えば街中なのだけれど、朝の空気は澄んでいて、公園の緑の中を走り抜けるだけで、気持ちよく汗がかけた。僕はこのとき30代も半ばになっていたけれど、はじめて身体を動かすことそれ自体が、心から気持ちいいと思えた。
このとき僕は、自分が嫌いだったのは、「みんな」に合わせ、「敵」に勝つために、あるいは何か「目的」を果たすために苦痛を我慢する「体育」であって、決して身体を動かすことそのものではなかったのだ、とはじめて気づいた。こうして、僕はたちまち「(ライフスタイル)スポーツ」として身体を動かすことに夢中になっていった。もう、ご褒美のミニカーは必要なかった。
なぜ走ることが快感なのか
実際に走ってみてわかったことは、それがとても自由で、気持ちのいいことだということだ。人間は乗り物に乗っているときに、どれくらいの速度でどういう道を通るか、自分で自由に選ぶことはできない。バスや電車を自分で運転することはまずないし、自動車やオートバイは道ごとに走る速さが法律で決められているし、比較的自由に走ることができる自転車はそもそも通れない道がとても多い。