小学校で男の子とチュー、中学校では2人の彼氏
1989年生まれの縄田容疑者は、上が兄3人という4人きょうだいの末っ子。1996年、地元の小学校に入学した。当時から周囲を振り回す“横暴”な一面が顔を覗かせていたという。
「佳純は小学生の時から気が強くて男勝りな女の子でしたよ。あの子は平気で喧嘩するんです。手は出さへんけどね、代わりに口が達者やった。男女関係なく『死んでしまえ』『生きてる価値ない』とかいう言葉を浴びせてましたわ。
公園とかで一緒に遊んでいると、立ちションしている男子に混ざって一緒に立ちションしたり、とにかく小さい時からぶっ飛んでいた。好きな男の子がいたら、クラスみんなが見てても平気でチューしたり。クラブ活動は家庭科クラブ。その時から、福祉とかそういうのに興味があったのかも」(前出・小学校の同級生)
2002年、地元の中学校に入学すると、男女関係でトラブルを起こすようになった。中学校の同級生が明かす。
「美人で有名だったから、彼氏は2人ぐらいおったと思う。交際期間はそれぞれ半年ぐらいかな。そのほかにも、佳純は中学校の先輩の男によくちょっかいをかけてました。それに気づいた先輩が怒っても、刃向かって言い返していました。
部活はソフトテニスを最初少しやってたような気がするけど、先生に何か怒られてすぐ辞めたんちゃうかな。そういうの我慢できひん人やから。その後、部活はやってなかった気がする。中2の途中で、親の都合で同じ市内に引っ越して転校していきました」
翌2003年、縄田容疑者は大東市内の一軒家に引っ越し、中学校も転校した。
「もともと工場だったところを更地にして、新しく家を建てたんです。お父さんが近所のパチンコ屋の店長だったか幹部だったはず。家族揃って、派手な身なりをしていたことが記憶に残っています」(近隣住民)
2005年に中学校を卒業。卒業アルバムにはこんなふうに「将来の夢」を綴っていた。
〈将来、私は『保育士』になろうと思います。そのためにも、高校生活を自分なりにガンバろうと思います。この文集がのっているアルバムを見る時は、高校に“合格”していると思います。笑。色々なコトがあったケド、私はずっと、③年①組のみんなに、本当にかんしゃしています。●●(原文は実名)先生たちにも。ありがとうございました。〉