山上徹也被告(42)が安倍晋三元首相を銃撃する5年程前のこと。山上の母・A子さん(70)は、ある親族にこう打ち明けていた。
「最近、徹也は『革命を起こす』とか、そんなことばっかり言うてんのよ」
事件発生からまもなく10カ月。模倣犯まで現れた山上の知られざる一面を、親族が初めて明かした。
「徹也は小さい頃から内向的な性格で、親戚の集まりで話しかけても、はにかんで俯くばかり。いつも母親のひざの後ろに隠れていて、時々チラッと覗き込んでくる。引っ込み思案で前に出ることの出来ない恥ずかしがり屋の少年でしたね」
そう述懐するのは、山上の遠戚にあたる人物である。この親族は山上の父と懇意にしていた時期があり、酒を酌み交わすこともあったという。
「徹也の父親は酒が好きで、ウィスキー『オールド』のボトルを1日で空にする。元々は面白くて良い人だったんですが、徹也の兄に病気が見つかって以降、だんだんとおかしくなり、嫌なことがあるとすぐ家出をするように。最後はノイローゼみたいになって『俺もう嫌だから、ここで首くくって死ぬ』等とクダを巻きながら、浴びるように酒を飲んでいたのを覚えています」(同前)
1980年代初頭、山上が産まれて間もない頃のことである。時を同じくして山上の母・A子さんは、統一教会ではない別の“宗教”を信仰するようになっていった。
「彼女が最初にハマったのは『実践倫理宏正会』という団体です。朝早くに集まりがあるとかで、徹也とその兄をほったらかしてよく出かけていました。私の身内にも“一緒に行こう”と誘っていました」(同前)
この団体は早朝に行われる“朝起会”という活動をメインとしている。会員数は400万人を超えるとも言われ、宗教ではなく社会教育関係団体を自称している。
A子さんがこうした活動に傾倒していったのには理由があった。
「徹也が産まれた翌年の81年9月にA子さんの母親が若くして白血病で亡くなり、3年後の84年12月には徹也の父がマンションの屋上から飛び降り自殺。さらに、その2年後にA子さんの知人が列車事故に巻き込まれて亡くなってしまったのです」(同前)