「来年のパリ五輪出場権を取れなければ、日本代表を引退します」
バスケ日本代表の大黒柱・渡邊雄太(28)は、ファンの前で宣言した。アジア最上位にパリ五輪への出場権が与えられる、日本(沖縄)を含む3カ国共催のW杯に挑む直前のことだ。
当時としては異例となるアメリカ留学を決めると…
その悲壮な覚悟はチームメイトに火をつけ、日本代表は9月2日のカーボベルデ戦に勝利して五輪出場権を獲得。開催国として出場した大会を除くと、出場権獲得は48年ぶり。日本の団体球技種目で最速となるパリ行きの切符だった。
渡邊の道のりは、決して順風満帆ではなかった。
香川出身の渡邊は高校2、3年時に名門・尽誠学園で全国大会準優勝を経験。高校卒業後、当時としては異例となるアメリカ留学を決めると、何の権限もない当時の日本バスケットボール協会から猛烈な反対にあった。「前例がない」という単純な理由もあれば、「英語力が追い付かないはずだから」という醜悪な理由まで様々だった。
それでも海を渡った渡邊は、バスケと勉学を両立。ジョージ・ワシントン大学卒業後には、世界最高峰のバスケリーグ・NBAのチームに、練習生のような立場で入団した。ただ、そこからの5シーズンは、シーズン途中での解雇時に金銭的補償がない「無保証契約」などの不安定な契約の下、必死で戦ってきた。