野球選手は引退後、どんな道を歩んでいるのか。甲子園優勝投手という実績を買われて横浜(現DeNA)に入団した下窪陽介さんは、2010年に戦力外通告を受けて引退。サラリーマン生活を経て家業の製茶店を継いだ。「元プロのプライドが邪魔をした」と語るセカンドキャリアの様子を、スポーツライターの内田勝治さんがリポートする――。

野球に見切りをつけ、会社員になる選手たち

野球選手にとって、競技引退後のセカンドキャリアは、必ず訪れる。それは、プロに限らず、アマチュアも例外ではない。

昨年10月。JR東日本野球部で投手として活躍していた山口裕次郎さんは、監督からシーズン終了と同時に勇退を告げられた。当時24歳。現役の道を模索することもできたが、「悔しい気持ちはありましたけど、自分の実力不足で終わるなら、もうJRで現役を終わろうかなと。未練はなかったです」と現役を引退し、JR東日本の社業に就くことを決断。研修を経て、2023年1月から御茶ノ水営業統括センターに配属され、現在は御茶ノ水駅で改札業務などを行っている。

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「野球部の頃は支社にいて、駅にはいませんでした。それまでずっと野球をやってきてアルバイトもしたことがなかったので、最初はどうなるのかと思いました。でも、やっていくうちに野球で学んだことを生かせたというか、駅も1人だけじゃなく、全員で連絡を取り合って緊急事態などにも対応していく。野球をやっていたからこそ、いい意味で違和感なく入っていけました」

「ドラフト4位以下なら行かない」と言っていたが…

山口さんは大阪・履正社高時代、最速146キロの直球を武器に、エースの寺島成輝さん(元ヤクルト)と左腕2本柱を形成。2016年夏の甲子園出場に大きく貢献した。高卒でプロ入りしたい思いもあったが、同時に社会人野球への魅力も感じていた山口さんは、同年のプロ野球ドラフト会議にあたり、調査書が届いた11球団に「ドラフト4位以下であれば社会人(JR東日本)へ進むので、指名を遠慮してもらいたい」という意向を伝えていた。