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《日当は1万円、貯金残高は240万》桐島聡(70)の親族が認めた「7年前のDNA採取」

 痩せこけた身体を病院着に包み、全身に多数の管を繋がれ横たわる男。首を動かすことしかできない瀕死の老人は、若き日の手配写真が日本中で知られる桐島聡容疑者(享年70)の変わり果てた姿だった。

手配写真は七三ヘアで黒縁メガネ

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警察からの取り調べで“秘密”を暴露

 社会部記者の解説。

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「末期がんで湘南鎌倉総合病院に入院中だった『内田洋』なる男性が1月25日、突如、自らが『東アジア反日武装戦線』の桐島聡だと病院関係者に明かし、『偽名を使っていたが、最期は本名で死にたい』と身の上を語り始めたのです」

「反日武装戦線」は1970年代、三菱重工本社ビルなど連続企業爆破事件で世間を震撼させた極左グループ。広島県出身の桐島はそのメンバーの1人で、警視庁に爆発物取締罰則違反容疑で指名手配されていた。

桐島聡が入院していた湘南鎌倉総合病院

「桐島は病院に勤務する県警OBに事情を説明。所轄の大船署を経て県警公安3課から警視庁に情報が伝わりました。調べに対し、75年の中堅ゼネコン『間組』関連の爆破事件で現場まで爆弾を運んだなどと供述。“秘密の暴露”があることから、警視庁は本人の可能性が高いと見ています。ただ、既に余命幾ばくもなかった。懸命な治療が続けられましたが、29日朝、死亡が確認されました」(同前)

周囲からは『うーやん』と呼ばれ、イベントにも参加していた

 75年5月4日、間組関連の作業現場爆破事件を起こした後の同月31日、父親に電話で「岡山で女といる」と説明した桐島。その日を最後に長く消息を絶っていた。一体、どんな潜伏生活を送っていたのか。

「神奈川県川崎市の飯場で1年ほど過ごし、80年代からは現在の勤務先の工務店で住み込みで働いていました。寮は木造2階建てで、家賃は2万5000円。工務店では日当1万円で手渡しだったといいます」(同前)

桐島が暮らした住宅

 人目を気にする生活だったかといえば、そうでもなかった。市内の飲食店関係者が明かす。