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《日当は1万円、貯金残高は240万》桐島聡(70)の親族が認めた「7年前のDNA採取」

「20年以上前から週に1、2回は来る常連で、周囲からは『うーやん』と呼ばれていました。深夜11時、12時頃に酔っ払った状態で来て、グラスの赤ワインを飲んですぐ帰る。柳ジョージとか日本人のブルースが好きで、『横浜のブルース系のライブに行ってる』とも話していた。2000年前後は夏になると近くの海岸で参加費2000円のバーベキューイベントをやっていましたが、彼はそこにも顔を出していました」

警視庁は桐島の次姉と叔父にDNA試料の提供を求めていた

 時には、ロマンスの相談も打ち明けていた。

「10年以上前、30歳くらいの女性から交際を申し込まれたと聞きました」(別の飲食店オーナー)

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 だが、本当は「内田」ではなく、逃亡犯の男はこう言って断ったという。

「自分は幸せにできるタイプじゃないから」――。

10年ほど前の桐島(NHKより)

 一方、桐島の尻尾を掴めない警視庁公安部も諦めてはいなかった。

 警視庁関係者が語る。

「実は17年9月、警視庁は桐島の次姉、そして叔父にDNA試料の提供を求めていました。本人確認に有効なDNAを採取することで、逮捕にこぎつけようと考えていたのです」

勤務先近くの道でしゃがみ込んでいるのを助けられ…

 実際にDNAを提供した叔父の妻に話を聞いた。

――17年にDNA採取を受けた?

「そうですね。もう(理由は)忘れました。私のあれではないので」

――聡さんに会ったことは?

「いえ、ないです。ここまで来ませんからね、聡も。(聡の両親も)とっくに亡くなっておりますので」

 そんな桐島の潜伏生活は今年に入り、急転直下。1月14日、勤務先近くの道でしゃがみ込んでいるのを助けられたのだ。

「近所の男性と2人で両脇を抱えて、彼の家まで引っ張っていったんです。1階の板の間に座らせたんですけど、六畳一間には石油ストーブが2台と、あとは段ボールなどゴミの山だった。火事になったら大変だな、と。その後、工務店の社長さんが救急車を呼んだみたいで、搬送されていきました。今思えば、声を掛けても『こんにちは』と返すけど、物寂しい感じでしたね」(近隣住民)

病院前には多くの報道陣が

 入院時の所持品はバッグとタンブラー、ボールペン、診療明細書のみ。貯金残高は240万円。桐島は54年1月9日生まれだが、内田洋名義の診察券には52年9月1日生まれと記されていた。9月1日は奇しくも、反日武装戦線が三菱重工ビルの爆破を当初計画していたとされる日だ。

 若き日の手配写真を彷彿とさせる黒縁メガネを、最後の日々もかけていたという。

《日当は1万円、貯金残高は240万》桐島聡(70)の親族が認めた「7年前のDNA採取」

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