新築住宅はもちろんキレイでお洒落(しゃれ)で、暮らすうえでの問題は何もないように見える。また、使われる見込みもなく放置される空き家が増加し続けるよりは、市場に流通し、活用が進められていくことのほうが、その分譲地にとっては間違いなくプラスの現象だろう。
僕自身も、実はさしたる問題でもないことを針小棒大に騒ぎ立てるつもりはないし、利便性を犠牲にしてでも、土地の広さや家屋の密度の低さによって形成される、ある種の開放感を優先する心理は、もちろんよくわかる。
しかし、中古住宅の需要が高まろうと、新築家屋が増加しようとも、限界分譲地に関わる諸問題が解決に向かっているかといえば、まったくそんなことはない。
街は衰退するのに人口は増えるという「倒錯」
新築家屋が並ぶその真横で、今も地権者と連絡が取れない放置区画はそのままになっているし、私道や共同水道などの施設インフラの維持管理のゴールも見えていない。公共交通網もますます縮小する一方であり、小中学校の統廃合も加速している。
また、いくら新築や中古住宅が増加しているといっても、新築用地としての需要も発生しない古い分譲地の環境改善にまでは至っておらず、今なお部分的に荒廃が進む分譲地が大半だ。
つまり、地域としては明らかに衰退の方向に進んでいながら、一方ではわずかながらの人口流入がいまだ続くという、街としては、いわば倒錯した状況が同時進行で発生しているということだ。
限界ニュータウンについての発信を行っていると、時折、これからの日本社会は人口減が進んで地方が衰退していくのだから、限界ニュータウンのような住宅街も自然に消滅していくのではないか、との意見をいただくことがある。
確かに過去の歴史を振り返っても、地方の炭鉱町や開拓農村、林業や炭焼きを主要な生業としてきた集落は、時代や産業構造の変化によって消滅に追い込まれ、あるいは住民が離れて放棄されてきた。むしろ、時代に合わなくなった住まいは放置され、必要に応じてより新しい居住地を見つけていくほうが自然な流れなのかもしれない。