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すでに高度成長期から半世紀が経過し、旺盛な宅地需要の原動力ともなった人口増の時代が遠い過去の話となった今、当時の論理で造成されたニュータウンが時代とともにニーズを失い、最終的には放棄されていくのは避けられない話なのだろう。

学校周辺と国道沿いに人が集まり、駅前はスカスカ

しかし、すでに述べてきたように、現時点では利便性の悪いエリアから都合よく衰退が進んでいるわけではない。

その是非はさておき、周知の通り現在の地方都市では鉄道駅や、その周辺に広がる旧来の商業地の地位が相対的に低くなっており、古い町はおしなべて道路事情もよくない(自動車の利用を想定した都市構造になっていない)ので、あえてそのような立地を居住地として選ばない住民も少なくない。

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これは僕が住む千葉県の北東部も同じで、新規に開発される分譲住宅地は、駅や旧市街地へのアクセスは考慮されず、あくまで小中学校や国道沿いのロードサイド店舗へのアクセスを優先していて、そのような分譲地は最初から自動車での移動を前提としている。

山林や原野までもが投機の対象となった時代は遠い過去の話となったが、そのような場当たり的な宅地分譲を招く市場の論理や、その分譲地を求める購入者の動機は、高度成長期の時代からいまだ何も変わっていない。新築に限らず、既存の分譲地内でも、中古住宅と更地の需給バランスに著しい不均衡が生じている。

利用と放棄が混在している「投機の実験場」

むしろ、都市部から遠く離れたへき地の消滅集落のように、住民のすべてが離村し、そのまま消滅するのなら、語弊のある言い方かもしれないが、話は単純だ。

しかし、僕が足を運ぶ千葉県北東部の限界分譲地、限界ニュータウンに関しては、今なおその地域の廉価な不動産商品という位置づけで地元市場、および地域社会に組み込まれている現役の住宅地であって、山村の過疎集落のような自然消滅を期待するには都市部からあまりに近すぎる。

「利用」と「放棄」が混在する環境が次第に拡大していくことになれば、それは衰退ではなく都市の荒廃だろう。

吉川 祐介(よしかわ・ゆうすけ)
ブロガー
1981年静岡市生まれ。千葉県横芝光町在住。「URBANSPRAWL -限界ニュータウン探訪記-」管理人。「楽待不動産投資新聞」にコラムを連載中。著書に『限界ニュータウン 荒廃する超郊外分譲地』(太郎次郎社エディタス)がある。