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佐藤家は逸話の一家

「死にたくない」とか、「死んだらいいところに行きたい」とか、「死んだらどうなるだろう」とか、そういうことを考えるより、わがままに生きる。余計なことをあんまり考えないで生きていると、なかなか死にませんしね。

 佐藤家で一番長生きだったのは、私のおじいさんだったんです。弘前藩の下級武士だった人で、90いくつで亡くなりました。もう弘前で知らない人がいないっていうくらい、うるさ型で。逸話もいっぱい残ってるんですけどね。

 とにかく佐藤家は逸話の一家なんです。父の弘前時代の逸話はろくでもなくてね、中学が火事で燃え始めたっていうときにいち早く駆けつけたけど、消すんじゃなくてもっと燃えろって、羽織であおったっていうんですから(笑)。

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幼少期の佐藤愛子さん(下段中央)と、父・佐藤紅緑さん(上段)

●『血脈』で遺産を巡る確執を描いた姉を「しみじみ懐かしい」と語る心境や、少女時代の兵庫県の家の情景、励まされようという気持ちへの喝や、「死」へとの向き合い方など、インタビュー全文は、『週刊文春WOMAN2024春号』でお読みいただけます。

「佐藤愛子の100年」

 

 佐藤愛子さんは1923年生まれ。父の佐藤紅緑さんは作家、母のシナさんは元女優だ。紅緑さんの代表作『あゝ玉杯に花うけて』は、連載した雑誌「少年倶楽部」(講談社)の部数を倍にしたと言われるほどの人気だった。劇団を持っていた紅緑さんが出会ったのが女優で20歳年下のシナさん。当時すでに血のつながった4人の男子がいた紅緑さんだが強引に接近、長女・早苗さんが誕生。その後、紅緑さんは妻と離婚、次女・愛子さんが生まれる。そしてシナさんは女優を断念。紅緑さんの長男は、詩人で作詞家のサトウハチローさん。戦後に並木路子が歌って大ヒットした「リンゴの唄」のほか、「ちいさい秋みつけた」など多くの童謡を作詞した。

 

 愛子さんは43年、陸軍主計将校と見合い結婚したが、復員した夫はモルヒネ中毒になっていた。2児を残し49年、世田谷の実家に戻る(夫は51年没)。作家修業を始め、文芸誌「文藝首都」の同人に。56年、そこで出会った作家の田畑麦彦さんと結婚、60年に長女が生まれた。夫は会社経営に乗り出したが67年に倒産、夫に言われ“偽装離婚”した佐藤さんが、なぜか莫大な借金を背負う。夫との顛末を描いた『戦いすんで日が暮れて』で直木賞を受賞した。ちなみに取材で訪れた佐藤さん宅の本棚に、田畑麦彦さんの著書があった。

 

 89年、65歳で佐藤家3代を描く『血脈』の執筆を開始、2000年に同作品で菊池寛賞を受賞。17年に旭日小綬章を受章し、『九十歳。何がめでたい』が年間ベストセラー総合1位になる。21年、『九十八歳。戦いやまず日は暮れず』を出版、2冊で累計167万部。23年、100歳になった11月に『思い出の屑籠』を出版。24年6月、映画『九十歳。何がめでたい』が全国公開予定(主演・草笛光子)。