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何でも白黒つければいいってもんでもないだろう問題

「社会的に許されること」の許容量が、減っている感じがする

2018/04/26

genre : ニュース, 社会

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 三男を幼稚園に送っていった帰り、園児の手を引くクラスメートのお母さんと娘さんとすれ違ったので挨拶をするわけですよ。

「おはようございます」

 声高らかな挨拶というのは気持ちがいいわけですね。私が。挨拶は大事ですし、人間の基本です。ああ、今朝も私は元気に忠実に基本を守っているなあという実感とともに、多幸感に包まれるわけです。生きてるなあって。今日も頑張ろうって。そう思います。

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突然の「幼女への声かけ事案」

 ところが、その夕刻、不当なことに私は警察官に職務質問を受けてしまうのです。何ということでしょう。聞くと、早朝にアロハシャツを着て短パンを履いた見ず知らずの中年が、母娘の登園時に声をかけたという、声かけ事案があったので調べているというじゃないですか。

 アロハシャツを着て短パンを履いて挨拶をした中年は明らかに私です。

アロハシャツを着て短パンを履いた山本一郎氏

 しかし、それは本質ではありません。問題の論点がずれています。善良な千代田区民が住民と挨拶を交わすという美しい行為が「幼女への声かけ事案」と疑われ、あろうことか不審者が街中をうろついているかの如く通報されたという、このわたくしに対する重大な人権侵害行為であります。挨拶しただけじゃん。誰だ、通報しやがったのは。人を見た目で判断してはいけません。私のような品行方正で穏やかで豊かな人間性に溢れた人物に対して、疑いの目をかける監視社会に対して、私は断固抗議したいのであります。「社会的に許されること」という許容量が、減っている感じがするのです。