亡くなった小林順子さんが、通っていた上智大の授業で提出した自己紹介カード=8月26日

 上智大4年の小林順子さん=当時(21)=が1996年、東京都葛飾区柴又の自宅で殺害、放火された事件は9日で発生から28年となる。「帰ってきたら絶対飲みましょうね」。同大事務員だった本田由美さん(73)は、留学目前の順子さんと交わした約束を鮮明に覚えている。「時間がたっても記憶が埋もれることはない」という。

 順子さんは新入生と上級生の交流を深める「オリエンテーション・キャンプ」で、3年生の時に会計係を務めた。金庫のあった大学事務室を頻繁に訪れるうち、一緒に酒を飲みに行くほど本田さんと仲良くなった。

亡くなった小林順子さんの出席した授業を受け持っていた上智大の東郷公徳教授=8月26日、東京都千代田区

 米国留学が数日後に迫った頃、本田さんは事務室を訪れた順子さんに飲みに誘われた。用事があったので断ると「なんだ、つまらないの」と順子さんは寂しそうな表情を浮かべた。「帰ってきたら絶対行きましょうね」。そう繰り返す彼女と再会を約束し、「気を付けてね」と送り出した。

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 順子さんの渡米2日前に事件が起き、本田さんは「受け入れられなかった」と話す。「あの時もし行っていたら」「何か話したいことがあったのかな」と、今でも後悔することがある。留学の思い出話を楽しみにしていたがかなわず、「あの日行けなかったことが悔しい。言葉では言い表せない思いがずっと残っている」と語った。

 一方、オリエンテーション・キャンプの担当教員だった東郷公徳教授(60)は、順子さんについて「人懐こくて、照れたような笑顔が印象的だった」と振り返る。出身地が舞台となった映画「男はつらいよ」になぞらえて「葛飾柴又から来た小林順子です」と自己紹介するのが定番で、「誰とでも仲良くなっていた」と語る。

 ジャーナリストを志していた順子さん。1年生の「英文学入門」の授業には、自ら題材を探してリポートを提出するほど熱心だった。「(事件に遭わなければ)国際問題を扱う特派員になって活躍していたのでは」と悔しさをにじませる東郷教授。「なぜ彼女が殺されなければいけなかったのか。一日も早く解決してほしい」と願った。