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日系居酒屋で働く父親への取材を試みると…
約30年前の渡米後、水原氏の父親はロスの寿司屋で働き、その後、日本食レストランを転々とした。事件発覚時点では日系居酒屋の従業員だった。
当時、同店の従業員は小誌の取材にこう答えている。
「古株の従業員で、メニューを考案するなど実質的に店を仕切っていました。ただ事件発覚後は姿を見かけていません」
この居酒屋に電話をかけると、「(一平の父は)いまは出られない。電話の目的はなに?」と言い、取材目的を伝えると「Have a nice day」と一方的に電話は切られた。
強制送還は“母国”からの国外退去と同意
刑期を終えた後、日本へ強制送還されるであろう水原。だが、6歳から米国暮らしの水原には親族以外に頼る先がないという。
冒頭の親族が話す。
「一平の生まれは北海道ですが、彼にとっての地元はアメリカです。だから強制送還は“母国”からの国外退去を意味します。一平は真面目だし、やる気になればなんでもできると思います。別に人を殺したわけではないし、しっかり務めを果たして頑張ってほしい。まだ若いので世の中に貢献していけることもあるはずです」
おばあちゃん子だという水原。彼の祖母が住む部屋には、今でも壁一面に孫と大谷の2ショットが飾られているという。