父が蒸発→一家離散を経て、家賃5万円のアパート暮らし
1994年、兄、姉に続く末っ子として生を受けた伊藤。兄はお笑いコンビ・オズワルドの伊藤俊介(35)だ。翌95年に父は土木工事会社を千葉市内に設立し、母が役員に名を連ねた。
「お父さんは羽振りの良い感じで、派手な服を着て高級そうな車を乗り回していた。お母さんは自宅で幼いお子さんたちの面倒を見ていました」(近隣住民)
ところが伊藤が2歳になる頃、資金繰りが悪化。父は家族の元から姿を消してしまう。伊藤は、当時のことを『徹子の部屋』(テレ朝系)でこう話している。
〈おうちがなくなったりとかして家族が一瞬バラバラに住んだり。お父さんの会社がダメになっちゃって〉
父が蒸発し、伊藤は母の幼馴染の家、兄と姉は兄のサッカー仲間の家、そして母は軽トラで過ごしたこともあったという。「一家離散」を経て、母の姉である伯母も交えた5人の家族はほどなく、家賃約5万円のアパートで暮らし始めた。
「伯母さんがご飯を作り、お母さんは塗装職人として、作業着姿で腰から工具をぶら下げて懸命に働いていた。それでも生活は苦しく、家賃の支払いも大変だったようです」(母の知人)
“貧乏暮らし”の中で通い続けたキッズダンススクール
伊藤も、著書『【さり】ではなく【さいり】です。』(KADOKAWA刊)で次のように記している。
〈母は寝ずに働いて、働いて働いてなんとか、どうにか、私たちを守ってきた〉
小学校に上がると、家族は県営住宅へ引っ越し。六畳の部屋に布団を3枚敷き、家族5人で寝ていたという。そんな“貧乏暮らし”の中でも、伊藤が3歳の頃から伯母の送迎で通い続けていたのが、原宿のキッズダンススクールだった。
「沙莉ちゃんはよく団地の下でも学校の友達と踊っていました」(団地の住人)
ある日、子役募集のオーディション情報がスクールの掲示板に張り出された。ダンスを極めようとしていた伊藤だったが、友人に誘われて参加することに。その作品が、子役デビュー作となる03年のドラマ『14ヶ月〜妻が子供に還っていく〜』(日テレ系)。見た目が9歳の少女に若返った大人の女性という難役だった。プロデューサーの山本和夫氏が振り返る。