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「大変な子を掘り出した」

「実は沙莉に会う前、100人ほどの子役を見てきました。トップクラスの子役たちだったのに、どの子も『これだ!』とならなかった。やはりキャラクターの設定に無理があるのか……そう思っていたら、沙莉の演技を見て合格を心に決めました。当時『演技経験がない』と言っていた沙莉が何の躊躇いもなく、自然で説得力がある演技をしたのです。驚き、大変な子を掘り出したと思いました」

 幼馴染の1人も続ける。

「リカちゃん人形でよく一緒に遊びました。設定を決め、それぞれの役柄を子どもなりに一生懸命演じるのですが、沙莉ちゃんはとても上手だった。女優の才能があったんでしょうね」

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 ただ、鮮烈な子役デビューを果たしたが、その後は不遇の時代が続く。オーディションに臨んでも、選ばれるのはセリフのない役ばかり。伊藤もかつて「文春オンライン」の取材に、

〈小6ぐらいから中学終わるぐらいまでのあだ名が『売れない子役』だった〉

 と明かしている。

エンドロールの名前を見て…決意を固めた瞬間

「売れない子役」から脱する転機となったのは、18歳の時だ。12年公開の映画『悪の教典』だった。

〈エンドロールに生徒のひとりとして、たくさんの名前のなかに私の名前があるのを見たとき「あっ、この仕事、辞められないな」って思いました。なんか気持ちよかったんです〉(同前)

 決意を固めた伊藤。高校卒業に際し、進路希望の紙には「役者」と書いた。それでも、しばらくは、女優業を続けながらアルバイトを転々とする日々。前出の著書によれば、コンビニでは〈レジ打ち中にシンプルに就寝〉、卵屋では〈卵割っちゃったり、個数間違えたり〉と〈ポンコツバイト〉だったという。卵屋のスタッフに尋ねると、

「トラブルもなく、一生懸命働いていましたよ。気さくにサインを書いてくれるし、裏表のない子です」

 再び役者の道を歩み始めた伊藤が〈人生で会った大人で一番厳しい方でした。一番愛情深く教えてくださった〉(前出「文春オンライン」)と語るのが、20歳で出演した14年のドラマ『GTO』(フジ系)の飯塚健監督だ。以降もたびたび彼の作品には出演している。当の飯塚氏が明かす。