自分なんて大したものではないと認めるのは苦しい。だけど、そう認めることで、せっせと準備に勤しむことができるようになる。負け惜しみのように聞こえるかもしれないが、これこそ凡人の底力ではないだろうか。
僕も「トーキングブルース」という場で人様に喋りを披露しているわけだが、毎年、入念に準備する。談志さんのように「準備がないかのごとく本番をこなす」という域にはとうてい達していない。いや、永遠に到達できないだろう。でも、そのぶん、もうちょっとは生きて、まだ「トーキングブルース」もがんばれるかなと思っているところだ。
準備しなくていいのはひと握りの天才だけ。そして自分は天才ではない――僕も、おそらく、あなたも。そう認めることからすべてが始まる。
効率、能率など度外視の「やみつき状態」になる
僕は「傷つくこと」こそ準備なのだと思う。「磨く」とは無数の細かい傷をつけることである、と。
傷つくのは当然、楽しいことではない。苦しく、つらいことだろう。
そこで僕の次の提言としては、この苦しい準備というものに、ぜひ積極的に挑んで「やみつき」になってほしいのだ。
まず、コスパやタイパ重視で手っ取り早く成果を得ようとしないことだ。それだと準備のスケールが小さくなって、結果、得られるものも小さくまとまりがちになる。
遠回りし、時間をかけた濃密な準備のプロセスの中にこそ、お宝がいっぱい眠っている。それらを自力で掘り起こすには、効率、能率など度外視の「やみつき状態」になることが欠かせない。準備にやみつきになっている状態とは、別の言い方をすれば、時間を忘れて没頭し、無我夢中で準備をしている状態。準備の熟睡状態だ。
脳は、我を忘れて夢中でフル活動させると、普段以上の能力を発揮するものだと思う。いつもは眠っている勘が働くようになり、小さなことに気づくようになったり、少し先の予測がつくようになったりする。
だから、準備の段階で調査や資料集め、イメトレなどを徹底的にして脳をオーバーヒート寸前にまで持っていくと、本番で普段以上の力を発揮できるはずだ。