ジェットコースターのような5年間
そのままアメリカに住み続けたかったのだが、学生ビザの有効期限は5年。期限が切れる2004年、渋々日本に戻った。それでも諦めきれず、観光ビザで再びアメリカに飛び、現地で生活する道を探っている時に、ニューヨークで仲良くなった和歌山出身の友人から声を掛けられ、帰国を決める。
「和歌山でドッグランを併設したドッグカフェを一緒にやらへんって誘われたんです。その子に『日本で働いたことないやろ、1回働いとかな、日本に戻らなあかんくなった時、生きていかれへんようになるで』って言われて、確かにそうやなと思って」
もともと犬と猫が好きで、ニューヨークでトリマーの資格を取得して働いていたナカニシさんは、友人のアイデアに乗ることにした。しかし、現地を視察した時にかつて地元で感じた「ここじゃない」という感覚が蘇り、誘いを断って大阪に帰郷する。
これが、運命を変える決断になった。「いったん日本で働こう」と語学学校に勤め始めてから間もなくして出会った男性と結婚したのだ。これでアメリカに再渡航する計画はなくなり、1年ほどで語学学校をやめた後、トリマー、ペットショップ店員、ホテルのフロント、ホテルの清掃のパートと職を転々。その間に出産し、離婚してシングルマザーになるという、2004年に帰国してからジェットコースターのような5年間を過ごした。
ひとり娘に「エイリアン弁当」を作ったら…
それからしばらくの間、両親のサポートを受け、清掃のパートと子育てに専念していたナカニシさんに転機が訪れたのは、娘が3歳になった2013年。保育園に通っていた娘から、「キャラ弁を作ってほしい」というリクエストを受ける。ナカニシさんは考えた。
「娘の弁当を作る生活は、長ければ高校生まで続く。もしキャラ弁を作って喜ばれたら、毎回求められるかもしれない。それは面倒だから、ちょっと先延ばしできないか……」
そこで、一計を案じた。
「保育園に持っていく前に、うちで怖いお弁当を作って、諦めてもらおうと思って(笑)。うちのキャラ弁はこんなんやで、これでもいいんやったら作るけどっていう感じで」