大黒柱を失った食堂
多忙の中でも、正文さんは早朝に息子たちと船に乗って釣りに行ったり、次男の武さんが所属していた少年野球団のコーチをしたりと、子どもとの時間を作った。千秋さんは懐かしむようにこう言った。
「子どもたちのためというか、多趣味なんですよ。日本犬保存会に登録して四国犬を育てたこともあったし、店の2階の物置きで蘭を育て始めたこともありました。何かに凝ってないとあかん人でしたね」
正文さんが体調を崩したのは、50代半ばの頃だった。
糖尿病と診断され、近所の医療センターに通院を余儀なくされた。だが、正文さんは一日も休むことなく厨房で料理を作り続けた。60歳になると医師から人工透析を勧められるほど腎臓機能が低下。その後、膀胱癌を患い、肺にも転移し、10回もの手術を受けた。
正文さんは入退院を繰り返すようになると、「母さんだけで営業できるように」と、餃子の包み方や簡単な料理を指南したそうだ。
「看護士さんに『千久谷さん、眠りながらフライパンを振る動きをしてるんです』って言われたことがありました(笑)。お父さんは、料理するのが本当に好きやったんです」
2019年の春、努力家で凝り性の、誰からも愛された正文さんは、闘病の末に75歳で他界した。
以前の母を取り戻したい…息子の決断
正文さんが亡くなった翌年の2020年夏のこと。夫との店を守るべく、千秋さんは気丈に振る舞いながら一人で店を切り盛りしていた。ふと、自分の胸を触るとしこりがあることに気が付く。病院で検査を受けると、乳がんと告知された。しかも進行が早く、一刻も早く治療しなければならなかった。
抗がん剤で腫瘍を小さくすることにしたが、副作用が響き、千秋さんは眠れず、食欲も出ない日々が続いた。医師からリンパに転移する可能性があると診断を受け、腫瘍のある乳房を切除。
その後の経過は順調だったものの、目まぐるしい変化にストレスを受けたことで、いつもの明るい千秋さんではなくなっていた。店に貼り紙を出すこともなく休業し、家で塞ぎ込んだ。「誰とも喋らんし、もともと足が悪いのに出歩かない。食事も取らへんから、これはやばいぞって思いました」と武さんは振り返る。