大泣きしながら交番に行き、「この家族は最悪です」
恥ずかしい気持ちもあり、こうしたことを誰にも言えなかった。どうにか辛抱して、普通の暮らしをしているように見せたかった。高校の進路調査票を里母に渡したとき、目の前で破り捨てられて、「あなたは高校に行くお金もないし、中卒で働くのよ。私たちに感謝して家にお金を入れるべきだと思うけど」と言われ、初めて反発した。大泣きしながら交番に行き、「この家族は最悪です」と言い、過去のことを話した。
その後、以前いた施設や児童相談所の職員、里親、警察とで話し合った。そこで里母は「それは被害妄想だ」と言い始め、悟さんは過呼吸を起こして何も考えられなくなった。家に戻るか戻らないかを聞かれて、「戻りません」と答え、結局また児童養護施設で暮らした。また高校に通わせてもらえるような里親を探すように職員にお願いした。悟さんには夢があったので、その夢を叶えたい、絶対に諦めたくないと思い、高校に行くと決心していた。その夢は小学校の先生になることだった。
新たな里親家庭は「ザ・ノーマル」な家族だった
中学卒業前に新たな里親家庭で暮らし始めた。「ザ・ノーマル」な家族だった。実子が2人いて、自分をかわいがってくれたし、休日は家族で出かけた。勉強については「ほどほどにがんばればいいよ」といった感じだったので、自分の好きな部活動もでき、夜遅く帰ってきても怒られないし、自由な時間は多くて、初めて「これが自由だ」と感じた。でもそのときはある種、自分の中では一線を引いていた。この人たちは偽善者だと思い、心底信じてはいなかった。家族の前では、かわいがってもらえるように接した。
しかし今は「お母さん」とか「お父さん」と普通に気安く呼べるようになったし、心は開いている。この家族は以前の家族とは違うと思うようにもなった。悟さんがバスケットボール部でインターハイに出場したとき、家族全員で応援に駆け付けてくれた。「小さいときの写真とかはないけれど、ここでの生活がスタートだよ」と家族が言ってくれて、「大切な家族の一員だからね」と言って、アルバムを作ってくれた。嬉しくて泣いた。