社会から排除された人々を受け入れる懐の深さ

 筆者は40代の頃にテキヤ稼業を経験した。年末年始のバイ、(とお)()()()()神社(福岡市博多区)の十日恵比須祭りなどでタンカバイを満喫したが、傍から見るほど楽なものではない。肉体的には過酷だ。祭りの数日前から小屋組みを行う。年末の寒風吹き荒ぶなかでは、手がかじかんで動かず、紐は口で結える。当日は、十数時間立ちっ放しで、イカを焼き、焼きそばを作り続けた。食品を扱う際は、食中毒を防止するため、細心の注意が求められる。祭りの後は、深夜まで片付け清掃。場所を貸してくださった神社への礼儀を欠いては、テキヤ稼業は続かない。

 テキヤの世界は、事情を抱えた人、なかには前科者など様々な人々が集まり、共同生活をしながら、商売をしていた。そこには、社会から排除された人々を受け入れる懐の深さがあった。現代社会において、こうしたある種の「セーフティネット」の必要性はますます高まっているように思う。

 たとえば、闇バイトに手を染めてしまった若者をどう更生させるか。全国の少年院での調査で、家庭で虐待を受けた経験がある子どもは約6割に及ぶ。親との関係が悪く、悩みを相談することもできない。両親が離婚もしくは死別している子は5割を超える。闇バイトで逮捕された子は居場所がない。銀行口座も作れないので、社会復帰からして難しい。彼らが更生するための家庭すらないのだ。

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 テキヤは厳しい。独特の文化があり、符丁も多く、丁寧に仕事を教えてもらえるとは限らない。だが、規範意識、礼儀作法を学び、社会復帰への第一歩を踏み出せると、私は考えている。

 映画はテキヤの世界を多分に理想化している。だが、その根底には社会から疎外された人々への温かい眼差しがある。テキヤの寅さんは、人間と社会のあり方を問いかけているのだ。

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