いったん梅毒になると、もうどんな客を相手にしても二度と性病になることはないから安心しろと激励しているのだ。

鳥屋について回復した遊女はその後、商売に復帰してどんどん客を取った。

手遅れになった遊女の悲惨すぎる末路

遊女が性病の淋病の薬を手作りし、馴染み客に提供するサービスがあった。

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薬の製法は妓楼ごとの秘伝だったが、戯作『錦之裏』(寛政3年)に、作者の山東京伝が吉原の花魁から教えられた淋病の薬の作り方が記されている。それによると各種の薬草を煎じ、女の陰毛三本を黒焼きにしたものをくわえるという。

多少は痛みなどをやわらげたかもしれないが、もちろん気休めであり、淋病が完治するわけではない。陰毛の黒焼きにいたっては苦笑するしかない。

こうした怪しげな民間療法で痛みなどの症状を抑えながら、客も遊女も平気で性病の予防具なしの性行為をおこなっていたことになる。

有効な薬がないため、梅毒が進行した遊女の末路は悲惨だった。『世事見聞録』(文化13年)は、つぎのように書いている――。

身心労(つか)れて煩(わずらい)を生じ、または瘡毒(そうどく)にて身体崩れ……、とても本復せざる体なれば、さらに看病も加えず、干(ほし)殺し同様の事になり、また首を縊(くく)り、井戸へ身を投げ、あるいは咽(のど)を突き、舌を嚙むなどして変死するもあり。

自分の顔や体が崩れていくのを見て、世をはかなんで自殺する遊女も少なくなかった。

なお、梅毒の末期症状の人々を描いた史料はほとんどないが、あまりに悲惨だったため人目にふれなかったことがあろう。さらに、当時の平均寿命の短さも関係しているであろう。

性病は一般に進行がおそい。梅毒の末期症状になる前に、多くの遊女はほかの病気を併発して死んでいたのだと思われる。

妊娠してしまった遊女はどうなるのか

戯作『ふたもと松』(文化13年)に、

「勤めあがりは、できいせんと申しいす」

戯作『春色梅児誉美』(天保3〜4年)に、