世界で初めて有効成分を脳に届ける技術「J-Brain  Cargo®」の実用化に成功したJCRファーマ。高度なバイオ技術を活かして、「オーファンドラッグ(希少疾病用治療薬)」の研究・開発に注力、目覚ましい躍進を続けている。今年9月に創立50周年を迎えるJCRファーマの成功の秘訣と未来戦略について、文藝春秋取締役・新谷学が詳らかにする。

語り手●芦田 信 氏 
JCRファーマ株式会社 代表取締役会長兼社長

大きな存在感を放ち、世界からも注目されるスペシャリティファーマに成長

新谷 JCRファーマは、今年で創業50周年。製薬会社として小規模ではありますけれど、山椒は小粒でもピリリと辛いと言うように、大きな存在感を発揮して注目されている企業です。

 先ほど芦田会長に工場の中を案内していただきましたが、非常に立派で綺麗でした。50年の成長ぶりを実感しました。

神戸サイエンスパークセンター内の原薬工場にて。精製室を案内する芦田会長(手前)と見学する新谷(奥)。
神戸サイエンスパークセンター内の原薬工場にて。精製室を案内する芦田会長(手前)と見学する新谷(奥)。
精製室では、クロマトグラフィーと呼ばれる分析技法を用いて目的物質を純品(原薬)に仕上げていく。
精製室では、クロマトグラフィーと呼ばれる分析技法を用いて目的物質を純品(原薬)に仕上げていく。

芦田 大きな製薬会社になろうという考えは全くなくて、何年続くかなぁと考えながらやってきたら、偶然こうなっただけです。

新谷 芦田会長ご自身が、研究者として優れた方であることはもちろんですが、経営者としても先見性と決断力を備えたリーダーとして、素晴らしい成果を残してきたからではないでしょうか。

芦田 自分では全然、そんなふうに思ってませんけど(笑)。

患者数が少なく、治療法が確立されていない難病に用いる薬を開発

新谷 本日は4つのテーマについて伺います。まず、JCRファーマの主力製品である「オーファンドラッグ」とは、どんなものでしょう。

芦田 患者数が少なく、治療法が確立されていない難病に用いる薬を、オーファンドラッグ(希少疾病用医薬品)と呼びます。日本では患者数5万人未満の難病を希少疾病と定めていて、我々はその治療薬をターゲットとしています。

新谷 患者が少ないということは、マーケットも小さいわけです。大きな収益を上げるのは難しいのではと思えますが、なぜあえて、そこへ絞られたのでしょうか。

芦田 大手の製薬会社と競って大きな市場を狙っても、上手くいきません。希少疾病の市場は小さいけれども、規模の小さい我々なら生き残れるんじゃないかという単純な思考です。

新谷 たとえば、どんな難病の薬がありますか。

芦田 我々が力を入れているのは、遺伝子異常による「ライソゾーム病」の治療薬です。

新谷 ライソゾームとは、細胞の中のゴミ処理工場というのでしょうか、不要になったタンパク質や脂質、糖質などの老廃物を酵素で分解して代謝する器官ですね。特定の酵素が生まれつき欠けていたり働きが弱かったりするために、老廃物が溜まってしまって身体に悪影響を及ぼすのが、ライソゾーム病ですか。

芦田 その通りです。蓄積された老廃物は、内臓障害、骨や筋肉の異常、知能障害などの症状を引き起こします。患者は小児が中心です。欠損している酵素の種類によって、蓄積する物質や症状が異なるので、50種類以上のライソゾーム病が知られています。

ライソゾームは、細胞の中でゴミ処理工場の役割を果たし、不要になったタンパク質や脂質、糖質などの老廃物を酵素で分解して代謝する器官。
ライソゾームは、細胞の中でゴミ処理工場の役割を果たし、不要になったタンパク質や脂質、糖質などの老廃物を酵素で分解して代謝する器官。

新谷 治療するためには、足りない酵素を体内に届ける必要があります。しかし脳には、ウイルスなど異物の侵入を防ぐため、非常に強烈な「血液脳関門」というバリアーがあるそうですね。このバリアーを突破して必要な医薬品成分を送り込む技術は、JCRファーマが世界で初めて開発に成功したと聞いています。

芦田 「J-Brain  Cargo®」という技術です。「トランスフェリン」という血漿タンパク質が血液脳関門を通過できる仕組みを利用して、そこに薬剤を乗せる方法を開発したんです。「絶対に脳まで通してやる」と考えた研究者たちの執念の成果です。

新谷 画期的な技術の「J-Brain  Cargo®」は、すでに実用化されていますね。希少疾病の国際学会では、「新治療法アワード」を受賞されたと聞きました。血液脳関門を突破して薬剤を届ける技術は、ほかの病気の治療にも応用できるのではないですか。アルツハイマー病、パーキンソン病、脳腫瘍といった脳の病気や、神経腫瘍、神経炎症などです。

芦田 可能だと思います。しかし、アルツハイマー病やパーキンソン病は患者さんが多くて我々だけでは手に負えませんから、「J-Brain  Cargo®」の技術をライセンスしようと、多くの製薬会社と話を進めています。

「J-Brain  Cargo®」技術は2022年2月、希少疾病の国際学会(WORLDSymposium™)で「New treatment award」を受賞。
「J-Brain  Cargo®」技術は2022年2月、希少疾病の国際学会(WORLDSymposium™)で「New treatment award」を受賞。
ライソゾーム病の多くで見られる発達障害や言語障害を起こす脳の中枢神経系症状の改善には、医薬品の有効成分を中枢神経に届ける必要がある。JCRファーマは脳に存在するバリアー機構、血液脳関門を通過させて脳内に薬剤を届ける独自技術「J-Brain  Cargo®」を開発し、世界で初めてヒトでの血液脳関門通過を実証。現在は、 ライソゾーム病領域の17を超える疾患に対し、「J-Brain  Cargo®」適用治療薬の研究開発に注力している。
ライソゾーム病の多くで見られる発達障害や言語障害を起こす脳の中枢神経系症状の改善には、医薬品の有効成分を中枢神経に届ける必要がある。JCRファーマは脳に存在するバリアー機構、血液脳関門を通過させて脳内に薬剤を届ける独自技術「J-Brain  Cargo®」を開発し、世界で初めてヒトでの血液脳関門通過を実証。現在は、 ライソゾーム病領域の17を超える疾患に対し、「J-Brain  Cargo®」適用治療薬の研究開発に注力している。

独自の研究開発力とモノづくり力で拓く新薬の未来

新谷 お訊きしたいテーマの2番目は、常に「他社より一歩前に出て挑戦」してきたJCRファーマの足跡についてです。特徴的だと思うのは、独自の研究開発力にモノづくり力をかけ合わせることによって、他社に作れない医薬品を次々と世に送り出してきたことです。

芦田 我々の会社は、血栓を溶解する「ウロキナーゼ」という酵素の原料を、人間の尿から抽出する仕事から始まりました。もともと大五栄養化学(現在の日本製薬)に勤めていた私は、新鮮な尿を大量に調達するために、韓国に合弁の工場を作るよう命じられました。ところが会社が急に、ウロキナーゼの事業から撤退すると決めたんです。

新谷 採取した尿と工場だけが韓国に残って困ったとき、一介の若手社員にすぎなかった芦田会長が、世界でウロキナーゼを必要とする会社をリストアップして、手紙を書いて売り込んだ。その中からフランスのショーエという会社と縁ができて、事業の一歩目を踏み出された。以前に芦田会長からお聞きして、驚くと共に感動したエピソードです。

芦田 最後は私1人でジャルパックのパリ5日間というツアーを利用して(笑)、本社へ交渉に乗り込みました。

新谷 勤めていた会社が撤退した事業を続けるために独立して、JCRファーマの前身である日本ケミカルリサーチを設立された。それが50年前というわけですね。

芦田 あの取り引きがきっかけで、現在の我々があるのは間違いありません。

新谷 10年前にJCRファーマが40周年を迎えたとき、当時のショーエの社長から「日本の青年の情熱にほだされた」という、お祝いのビデオメッセージが届いたと聞いています。

芦田 彼はそのとき90歳でしたから、いま100歳ぐらいでお元気だと思います。私に情熱があったかどうか知りませんが、なんとか助けてやろうとお考えになったんじゃないでしょうか。

Shin Ashida
1943年生まれ。甲南大学理学部卒業後、‘68年、大五栄養化学(現・日本製薬)に入社。’75年9月、日本ケミカルリサーチ株式会社を設立し、代表取締役社長に就任。2007年6月より現職。‘14年1月、JCRファーマ株式会社に商号変更。今年9月、創立50周年を迎える。
Shin Ashida
1943年生まれ。甲南大学理学部卒業後、‘68年、大五栄養化学(現・日本製薬)に入社。’75年9月、日本ケミカルリサーチ株式会社を設立し、代表取締役社長に就任。2007年6月より現職。‘14年1月、JCRファーマ株式会社に商号変更。今年9月、創立50周年を迎える。

新谷 3番目のテーマは、「フロンティアスピリッツと誇れる企業文化」です。お話を伺っていると、ご自身で「面白い。やってみよう」と即決される場面が多い印象です。「ビジネスを考えすぎるとお金儲けになって、興味が失せてしまう」とおっしゃるのが、非常に芦田会長らしい。

芦田 いい加減な性格ですからね(笑)。面白いことや興味があることのほうが楽しいと思うので、研究所には「自由にやるように」と話しています。

新谷 経済合理性と結果ばかり求める企業が多い中で、「好きにやってみなさい」と口で言うのは簡単ですが、実際にはなかなか難しいと思います。失敗したとき、「おまえのせいで金と時間を無駄遣いした」と責めたりはしないんですか。

芦田 いや、我が身を振り返ると人を責める気になれないし(笑)、失敗した人は自分でわかっていますから責めても意味がないし、責任を取ってもらっても仕方がありません。それより少しでも、前へ進んだほうがいい。

新谷 創業から50年経っても、ベンチャースピリットは変わらないわけですね。芦田会長のお人柄の影響で、ユニークかつ働きやすい企業風土が築かれていることがわかります。離職率が1.1%(2021年度)という驚異的な低さだと伺いました。なぜ、社員は辞めないんですか。

芦田 わからないんですよ、私には(笑)。もっとも、コロナのワクチンを製造するためにたくさんの人を採用したあとの23年度は、4.2%でした。

新谷 給料も平均1000万円を目標にしてこられたそうですが、近づいてきましたか。

芦田 904万円まで上がりました。優れた人材に快適な環境で働いてもらうことが会社の理想だし、優れた人材を集めなければ将来の発展は望めません。そのためにも、社員への還元は大切だと思っております。

新谷 社内のコミュニケーションを図るために、社員食堂で社員の人たちと一緒に昼食を取ったり、ワインの会や食事会を開いたり、バレンタインデーには全従業員にプレゼントを贈ったりされていると聞きます。

芦田 コロナでストップしていた催しを、少しずつ復活させています。社員が急に1000人くらいに増えたので、新しい人は顔も名前もわからないんです(笑)。

Manabu Shintani
1964年生まれ。早稲田大学卒業後、文藝春秋に入社。『Number』編集部他を経て2012年『週刊文春』編集長、‘21年7月より『文藝春秋』編集長。’23年7月より現職。
Manabu Shintani
1964年生まれ。早稲田大学卒業後、文藝春秋に入社。『Number』編集部他を経て2012年『週刊文春』編集長、‘21年7月より『文藝春秋』編集長。’23年7月より現職。

新谷 最後のテーマとして、「第2創業期の未来戦略」についてお尋ねします。2030年代に売上高1000億円という目標を掲げていますけれど、現在はどのくらいですか。

芦田 現在は400億円強ですから、目標は倍以上の金額です。

新谷 2027年には、新しい製剤工場が稼働予定です。

芦田 画期的な新製品を生み出す工場になるはずです。

新谷 症例の多い病気でも希少疾病でも、患者の苦しみは変わりません。オーファンドラッグに取り組まれる製薬会社は、絶対に必要ですね。

芦田 ライソゾーム病にしても世界中に患者さんとご家族の会があって、お話を聞く機会があります。一人ひとりの患者さんにしっかりと薬をお届けすることが使命だと、肝に銘じています。

新谷 未来戦略の締めくくりとして、今後どういう企業を目指していくのか教えてください。

芦田 社員のみんなが自由に研究ができ、患者さんとご家族を思いながら薬を作ることが、常に重要です。ですから「アンメット・メディカルニーズ(いまだ満たされていない医療上の需要)」に応える新薬の創成に、挑戦し続けて欲しい。グローバルな展開は他社とも協力しつつ、日本国内では「希少疾病の薬といえば、JCRファーマだね」と真っ先に認められる会社でいて欲しい。これが私の望みです。

左:2027年に稼働予定の新製剤工場(仮称)完成予想図。地上3階建ての製剤棟や自動倉庫棟を含み、延床面積は14,775㎡。右:現在稼働中の原薬工場(神戸サイエンスパークセンター)
左:2027年に稼働予定の新製剤工場(仮称)完成予想図。地上3階建ての製剤棟や自動倉庫棟を含み、延床面積は14,775㎡。右:現在稼働中の原薬工場(神戸サイエンスパークセンター)
神戸サイエンスパークセンター内の原薬工場棟にて。広く開放的なオフィス環境からも働きやすさが感じられる。
神戸サイエンスパークセンター内の原薬工場棟にて。広く開放的なオフィス環境からも働きやすさが感じられる。

Text: Kenichiro Ishii
Photograph: Miki Fukano