3月1日に亡くなったタレントのみのもんた(享年80)。哀惜の声はテレビに政界、銀座の街からも――。

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日本で最も忙しい司会者

 政治家では一番付き合いが長かったという元自民党幹事長の二階俊博氏が、沈痛な声で語る。

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「まさかこんな早く逝ってしまうとは……。最後にお会いしたのは2年前くらい。政治の話は全くしませんでしたが、いつも朗らかでね。残念の極みです」

「珍プレー・好プレー」の名ナレーションでも知られる

 みのは1944年生まれ。文化放送にアナウンサーとして入社後、フリーに。最盛期には「午後は〇〇おもいッきりテレビ」(日テレ系)「朝ズバッ!」(TBS系)など週に16本のレギュラー番組を抱え、日本で最も忙しい司会者と呼ばれた。芸能ジャーナリストの城下尊之氏が振り返る。

「ギャラは1本500万円。朝の情報番組や特番にも出演していた時期は、月に数億円稼いでいたとも言われています」

「まだ酒が抜けてないんだよ〜」

 “遊び”も豪快だった。

「朝、挨拶すると『まだ酒が抜けてないんだよ〜』と言っていることもよくありました」(同前)

 女性の噂にも事欠かない。最愛の妻を2012年に亡くした後、40歳年下の銀座のホステスと交際、再婚するとも囁かれた。そのホステスが働いていた高級クラブの社長も、突然の訃報に驚きを隠さない。

「店のオープン前からのお付き合いで、本当に可愛がっていただきました。ウチを辞めたホステスからも『残念ですね』とLINEやメールが入っていて、みんなで偲んでいます」

老いを感じさせる発言が多々あった

 一方、19年にはパーキンソン病を患い、近年は老いを感じさせる発言も増えていた。21年にインタビューを担当した女性誌記者は、みののこんな一言を印象深く覚えているという。

晩年はパーキンソン病を患った

「老人性うつ病じゃないかと。どうすれば克服できるのかわからない。寂しくなると、未だに女の子に電話をかけたくなっちゃう(笑)」

 晩年まで女性への執着を燃やし続けたみの。7年間の交際の後、20年に別れたホステスには、1億5000万円のマンションをプレゼントするという誠意も見せていた。