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2018/07/02

水飲み場に王将の大駒

 北側に新宿御苑、東側に神宮外苑、西側に明治神宮。千駄ヶ谷は都心に在りながら緑地に囲まれた穏やかな街だ。ややスケールは小さくなるが、南側にも表参道の並木道があり、ファッショナブルな都市生活者たちの心に緑の憩いを与えている。神宮球場や秩父宮ラグビー場でシーソーゲームの激闘でも行われていない限り、街は静寂に包まれている。

 地名に含まれる「駄」は江戸時代に定められた重量の単位。馬一頭に背負わすことの出来る荷物の総重量を指しており、一駄は約135キログラムとされる。古来、一日に千駄の茅が採れる大地が広がっていたことを地名の由来とする説が有力だが、確たるところは分かっていない。

 江戸から明治へと時代が移ると、天璋院篤姫が江戸城を出て徳川千駄ヶ谷邸に居を移した。明治16年(1883年)に47年の生涯を閉じるまで現在のJR千駄ケ谷駅前に所在した屋敷で晩年を過ごした。

 明治から昭和初期までは牧場で乳牛が飼われているような土地だった。東京大空襲時は特に戦災の激しい地点となり、辺り一帯が焦土と化した。

 一日の乗降客数が約360万人を超え、ギネスブックに世界一と認定された新宿駅から「黄色い電車」の中央・総武線各駅停車の千葉方面に乗り、代々木駅を挟んでわずか2駅目、所要時間3分の場所に千駄ケ谷駅はある。一日の乗車人数は中央・総武線区間内で最少の約1万8000人だ。首都高速4号線の下に遠慮がちに隠れるようにして存在している。

 将棋の聖地であることを示す象徴として、1980年にはホーム上の水飲み場に王将の大駒が設置された。駅における唯一の個性と言ってもいい存在だったが、2020年東京五輪に向けた構内のバリアフリー化工事により撤去された。終了後に再設置される予定となっている。

 たったひとつの改札口を抜ける。新緑の季節なら頭上の街路樹が目に眩しい。駅前交差点の対角には、都心とは思えない広大な空がある。

 南側への視線の先には街のランドマークたる東京体育館が佇んでいる。ジュラルミン製のメタリックな天井部分が陽光に煌めいている。

東京体育館 ©文藝春秋

 次なる惑星での任務に備えて一時停止している巨大な宇宙船を思わせる外観だが、不思議と奇抜な印象は与えずに街と調和している。メインアリーナ前の敷地には、緩やかな勾配で石畳の広場が目的もなく広がっている。

自由な周遊性こそが当初からの意図だった

 1990年2月、建築家・槇文彦の設計によって東京体育館は竣工した。建築界のノーベル賞とも呼ばれるプリツカー賞を、2人目の日本人として師匠の丹下健三に次いで受賞した人物だ。今年9月に90歳になる。

「通り抜ける楽しさを感じてもらいたい、ということが第一にありました。体育館でのイベントが何もない時は目の前の広場で親子でキャッチボールをしたり、芝生のスペースでバレエのエクササイズをするような。そのような場所になればいいと考えたんですね」

 石畳の広場はメインアリーナとプール、サブトラックの間を通り抜け、外苑西通り側、国立競技場側に降りていく動線へとつながっている。自由な周遊性こそが当初から槇の意図した機能だった。

新国立競技場起工式 ©文藝春秋

「私が目指したものは、ただの体育館としての役割だけではありません。訪れる人には、キャフェでの語らいなども自由に楽しんだりしてほしいという願いがありました。千駄ヶ谷という穏やかな街並の一環としての建築としてありたいという意識が強くあったのです。今まで、どんなスポーツイベントがあっても千駄ヶ谷は混みすぎる街にはならないことを保ってきた。体育館があることで心の穏やかになる風景が持続され、広がり続けたらいい」

 かつては、64年東京五輪の体操と水球の会場として使用された木造の旧東京体育館が建っていた。老朽化によって84年に立て替えられることが決定すると、設計者に指名された槇には難問が課された。動員数を旧体育館の4000人から8000人に倍増させることを求められる一方で、都市計画法に守られた風致地区のため、最大の高さを28メートル以下に抑えなくてはならない厳格なプロジェクトだった。

「敷地も広くなかったので、とても難しいチャレンジでした。メインアリーナの半分近くを地下に埋めてヴォリュームを抑える工法でなんとか高さの問題を解決することが出来たのです」

 シンプルで美しいモダニズムと快適な公共性との両立が槇建築の哲学である。67年から25年間もの歳月をかけて完成した代官山の複合建築「ヒルサイドテラス」と並ぶ代表作になった。

 千駄ヶ谷一帯と槇の縁は深い。2015年に閉館されるまで東京体育館の西側道路を隔てた反対側に建っていた津田塾大学のコンサートホール「津田ホール」(1988年)も手掛けている。神宮球場の隣にはクールな外観の「テピア」(89年)、表参道の国道246号沿いには、螺旋状のスロープを大胆に施した多目的ビル「スパイラル」(85年)が現在も建つ。いずれもモダンでありながら周囲の風景に溶け込んだ建築である。