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2018/07/02

大山康晴と藤井聡太

藤井聡太七段の昇級昇段を祝う会 ©文藝春秋

 4月10日、将棋会館4階特別対局室。第31期竜王戦5組ランキング戦準々決勝・藤井聡太六段対阿部光瑠六段戦は激戦となった。

 最終盤、両者一分将棋に突入する。逆転を図る阿部は勝負術を駆使して局面を複雑化させたが、藤井の指し手が揺らぐことはなかった。

 デビュー直後は若々しく鮮やかに勝っていた15歳の将棋は、負ける可能性を徹底的に排除していく王者のスタイルに変化している。

 午後10時41分、阿部投了。

 日付が変わり、なおも続けられた感想戦の間、藤井は朗らかな笑みを浮かべ続けていた。負けることの恐怖など一切なかったかのように。劇的な終盤戦でさえ、大好きなものを存分に体感するためのショーだったと語るかのように。

 深夜零時40分。藤井は煉瓦造りの建物を出た。

 高校の入学式を終えたばかりの級友たちは、翌日の授業に備えて夢の中にいる頃だった。たった一人、藤井だけは学校のある名古屋市から350キロも離れた東京の千駄ヶ谷という街にいた。クラスメイトたちとは違う宿命を歩み始めている。生きていく場所は勝負の世界だった。

「千駄ヶ谷に来たのは、三段リーグ最終日(四段昇段を決めた日)がようやく二度目だったんです。でも、落ち着いていて好きな街ですね。お洒落なカフェとかもたくさんありますよね……まだ自分には無縁ではありますけど……。目の前に鳩森八幡神社もありますし、千駄ヶ谷で戦っていけることはとても嬉しいです」

大山康晴 ©文藝春秋

 42年前の落成式で、大山康晴が来客を出迎えていた場所に藤井は立っている。辺りは真っ暗な闇に覆われていたが、藤井は晴天の午後のように爽やかに笑っている。折り目正しく頭を下げると、都内に単身赴任している父親の元に向かうためタクシーの後部座席に乗り込んだ。

 将棋会館前の坂道には完璧な沈黙が広がっていた。2年後、新国立競技場に響き渡るであろう拍手や喝采は、戦いの渦中にある棋士たちの耳にも届くのだろうか。

 穏やかな街に朝が来れば、再び勝負は始まる。夜には新しい勝者と敗者が生まれる。

(文中敬称略)