ハーフタイムに喧嘩になることもあった
13歳の頃から久保の指導に関わる前U-17日本代表監督の森山佳郎氏(現ベガルタ仙台監督)が語る。
「初招集時はチーム最年少だったのですが、2学年上の山田寛人選手(現サガン鳥栖)に『おい、山田』と(笑)。試合中もとにかくボールを欲しがり、守備陣がボールを取らないと『何やってんだよ』と怒り出す。DFからすれば『お前は守ってもないのに!』となり、ハーフタイムに喧嘩になることもあった」
FC東京U-18監督だった佐藤一樹氏(現ONODERA FC監督)は、中学生だった久保のこんな姿が目に焼き付いている。
「建英が所属する中学生のチームと高校1年生のチームが対戦したことがあった。大差がつき、中学生たちがシュンとしている中、建英は『これを味わうためにやってるんだろ!』と檄を飛ばしていた」
「幼さが抜けた」と自己評価
森山氏と佐藤氏がプレーについて口をそろえるのは「よく首を振る」点だ。
「相手のタックルを受けないスペースを見極めるため、常にキョロキョロしている。空間認知能力がきわめて高いんです。他の選手と比べても首を振る回数が明らかに違う」(森山氏)
幼少期から鍛えた体幹や戦術眼に裏打ちされた、世界トップレベルのプレー。一方、日本代表では不運が重なった。18歳でA代表デビューを飾ったものの、22年3月、前回W杯の出場を決めたオーストラリア戦はベンチで見守った。同年11〜12月のW杯本戦では、ベスト8をかけたクロアチア戦を体調不良で欠場、チームも敗退した。
久保自身にも“弱点”が指摘されてきた。持ち前の負けん気による「幼さ」だ。
「日本代表では『何で試合に出してくれないんだ』と不満を漏らしたことも。それが今回の最終予選ではチームプレーに徹した。久保自身も試合後の会見で『幼さが抜けた』と自己評価していました」(前出・記者)