共に歩いていける小説というものは、あまりない。

 作品の中に書かれた世界や登場人物はもちろん架空だが、作者によって生を与えられ、実際に存在するかのような感覚を味わうことができる。ただし、読者が生きている時の流れと作品内のそれとは当たり前だが同じではない。連れ立って歩いていたはずが、小説の方が足を止めてしまい、淋しさを味わうこともあるのだ。

 畠中恵〈まんまこと〉シリーズは、読者が肩を並べてずっと一緒にいられる、希少な作品である。各巻に六篇が収録される連作形式でこれまで刊行されており、第九巻に当たる本書『おやごころ』単行本の奥付を見ると、初版第一刷は二〇二三年五月十日発行とある。初出はすべて『オール讀物』、第一巻『まんまこと』(二〇〇七年。現・文春文庫)の表題作は二〇〇五年七月号の同誌に掲載された。二十年近くの間、ファンはこの物語と歩んできたのである。

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「まんまこと」シリーズ著者の畠中恵さん ©文藝春秋写真部

最初はお気楽者の極楽とんぼに見えたが……

 登場人物が少しずつ年を取っていく形式の連作小説では、赤川次郎〈杉原爽香〉シリーズ(光文社文庫)が開幕から三十七年経って継続中なので現在進行形では最長だと思うが、いつの間にかそれに迫りかねない長寿シリーズになってきた。赤川の同シリーズは一年に一作ずつ発表されて、主人公もそれに伴い一つ齢を重ねるというユニークなものだが、〈まんまこと〉の作中時間はそれと異なり、現実の時間経過とは同期していない。だが物語にずっと伴走してきた読者は、同じように年齢を重ねてきた幼馴染のような親近感を、作品と登場人物たちに対して抱いているのではないだろうか。

 横を向けばそこに、神田の古町名主、高橋家の跡取り息子・麻之助がいる。いつもいる。町名主は士分ではないが、自治と秩序安定のために権限を持たされた存在だ。支配下の地域で揉め事があると、奉行所に届け出が必要な大事でない限り町名主に調停が任されることになる。現在の町会長が法律家の権限を持たされたようなものだ。当然公平であることが求められる。「まんまこと」で初登場したとき、麻之助はいささか周囲から軽く見られる、お気楽者として読者の前に姿を現した。尻の座らない極楽とんぼに見えたのは、実は過去に起きた出来事が原因であり、心根はまっすぐで気持ちのいい青年のままであるということが、いくつかの話を読むうちに読者にもわかってくる。その麻之助の落ち着かない心に少しずつ重しができてくる、というのがシリーズに通された縦糸なのである。

 麻之助には八木清十郎、相馬吉五郎という朋輩がいて、何かあれば相談するし、また向こうからも力を貸してくれと頼まれる。そのように緊密な交わりが、しかも気の措けない距離を保って続けられているのが下町・神田の気風なのである。その気持ちのいい人間関係に交じって自分も生きているかのような安心感を物語は読者に与えてくれる。

 前巻までの解説で麻之助の来し方については詳しく触れられているので、ここで繰り返すのは止める。実らなかった恋や愛しい人との死別など、その人生にもさまざまな山や谷があったのである。本作の叙述は麻之助の視点が中心になって行われている。それがのほほんとして穏やかなものだからつい忘れがちであるが、年齢なりに辛い体験も積み重ねてきた主人公なのである。ちょうど私たちや、私たちの友人がそうであったように。麻之助が人生の雨降り風間に入れば、わがことのように心配になる。そういった主人公なのだ。