両親が巻き込まれた“ある事件”
思い悩んだ両親なりの救命ボートが、青木の就農を機に立ち上げた農業支援の会社だった。ブドウなどを栽培する果樹園は「マサノリ園」と名付けられた。
やがて脱サラしたA氏は14年、中野市議選に初出馬する。“ある事件”に巻き込まれたのは、この頃のことだ。
「江部地区では地元から市議候補を推薦し、定期的に交代する慣習があったんですが、Aが出る時、前市議がもう1期、出たがったんです。前市議はもともと青木家と折り合いが悪くてね。Aが当選した後、B子さんへの誹謗中傷をネットに書き込み、名誉毀損で逮捕されたんです。親族の問題や、有力市議にすり寄るといった性的内容があったようです」(選対関係者)
活動的なB子さんは、市議の妻となる前から、地元の有名人だった。生け花やドライフラワー講師の資格を取り、フラワーアーティストとして個展も開催。地元紙でも、これまで10回近く取り上げられている。
「いい人なんだが、表に出るのが好きでね。市議選の時も、ウグイス嬢がいるのに、自ら選挙カーに乗ってマイクを握りたがる。敵も少なくない人だったので、前面に出るのをやめてもらったほどでした」(同前)
家族仲は悪くなかった
両親は、市議と良き伴侶として益々露出を増やしていく。地元の有名夫妻の嫡男としての役割を、青木も一時は果たそうとしていたようだ。同地区に住む男性が語る。
「戻ってきた当初は、地区の祭りの保存会にも参加していたんです。笛の名手だった父にならい、本人も練習して、祭りではお囃子の笛を吹いた。自分から人に話しかけることはなかったが、飲み会にもちゃんと参加していた。ところが、4年目頃から連絡が取りにくくなり、そのまま退会してしまった。本人ではなくAさんが『すみません』と日本酒の一升瓶を持って挨拶にきました」
それでも、家族仲は悪くなかったという。
「両親は長男が一緒に暮らして、農業を続けてくれるだけで嬉しいと。政憲が人前に出る仕事をするのは、ほとんど諦めていると言っていたそうです」(親族の友人)