文春オンライン

不登校10年の当事者が語る「“不登校後”明るい子と暗い子を分けるたった一つの違い」

学校で評価されないなら、自分で評価軸を作ればいい

 夏休み明けの9月1日は、子どもの自殺が年間でもっとも多くなる日と言われている。約10年間の不登校を経験し、高校3年生で起業。1億円規模の地方創生ファンドを設立した小幡和輝さんは、「学校へ行かないことは一つの選択肢」と語る。「#不登校は不幸じゃない」をスローガンに、8月19日に全国で不登校の当事者イベントを企画する小幡さんに、自身の不登校経験と「“不登校後”をどう生きるか」を聞いた。

◆ ◆ ◆

「学校、やだなぁ……」

――きょうはビデオ通話での取材ですが、普段こういう形で取材を受けることはありますか?

ADVERTISEMENT

小幡 時々ありますね。8月のイベントも全国100カ所で開催するので、基本オンラインでやり取りしています。

――夏休み明けは、子どもの自殺が増えると言われています。小幡さんは学校に行ったり休んだりを繰り返し、小学2年生から中学3年生まで完全に不登校だったということですが、小幡さん自身は9月1日をどういう風に迎えていたんですか。

小幡 やだなぁ……って(苦笑)。僕は不登校だったけれど、家には居場所があったんです。そういう意味では自殺を考えるような当事者ではなかったし、幸い、周りにもそういう人はいませんでした。

 でも、僕は、彼らの気持ちがなんとなく想像できるような気がするんです。というのも、僕が辛かったのも同じ夏休み明けのタイミングで、小学2年生の頃、3か月くらい学校に行くか行かないかで、毎朝親と喧嘩し続けましたから。その時が一番辛かったです。僕は本当に学校に行きたくなかったのに、父親が教師だったから、猛反対されました。

小幡和輝さん ©佐藤亘/文藝春秋

――小幡さんの場合、家族に不登校を認めてもらったことで、家に居場所ができたんですね。

小幡 一番つらいのは、学校にも家にも居場所がない状態です。僕は不登校をして、家に居場所ができたことで、人生を変えることができました。不登校をすることで救われたんです。だからこそ、社会が不登校を肯定する空気を作りたいと思っています。

不登校だった15歳の頃の小幡さん 提供=小幡和輝

ガキ大将に殴られて

――小幡さんは、何がきっかけで不登校になったのですか。

小幡 よく聞かれるのですが、明確な理由はないんです。幼稚園の頃から集団生活が苦手で、完全な不登校になる前から学校に違和感があり、休みがちでした。よく覚えているのは、小学2年生のときに「3引く5は?」と聞かれ、「-2」と答えた時のことですね。「マイナス」という当時まだ学校で習っていなかった概念を、友達に理解してもらえなくて、クラスで浮いてしまって。それがきっかけで学校を休むようになっていたところに、追い打ちをかけるようにガキ大将に暴力を振るわれ、学校に行くのをやめました。殴られた理由は分かりません。