昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

はとバスの「バスガール」が経験した「東京五輪の熱気」と「地獄のような研修」

50年後の「ずばり東京」――はとバスは進化し続ける#1

2018/08/31

鳩のマークに込められた意味

 はとバスの創業は1948年。今年で70周年を迎える。当時の社名は新日本観光株式会社で、社名を「はとバス」としたのは1963年のことである。創業者の山本龍男は日本初の地下鉄を建設した東京地下鉄道出身で、戦前は都内の遊覧バス事業を手がけていた。敗戦直後の東京で、山本は観光の力で日本を復興させることを誓い、戦時中、東京都に事業移管されていた遊覧バス事業の営業権払い下げを要請。その後、観光会社としての形を整え、1948年、新日本観光株式会社を設立した。これがはとバスの前身である。

 はとバス広報課の杉田真佑子さん(24)によると、はとバスの定期観光バス第一号が上野駅を出発したのは1949年の3月だったという。

「最初のコースは上野公園、皇居前、赤坂離宮(現・迎賓館)、浅草観音を3時間半で回るというもの。料金は大人250円でした。車体の鳩のマークは創業とほぼ同時に登場しています。鳩が平和の象徴であることと、『必ず家に帰ってくる』という伝書鳩のイメージもあって、『平和・安全・快速』という意味も込められていました」

鳩マークが目印 ©佐藤亘/文藝春秋

 終戦から3年。東京はまだ復興の途上にあった。そんな中、平和の象徴である鳩のマークをつけたバスが街を走る様子を想像する。その風景は、復興の只中にある東京の人々をどれほど勇気づけたことだろう。徐々にその数を増やすはとバスは、東京の復興の証でもあったはずだ。

1964年、空前の東京観光ブームが到来

「高度経済成長期が到来すると、はとバスも飛躍的に成長を遂げました。1958年の東京タワー開業時には全国から観光客が殺到したそうです。その頃になると、はとバスは全国にその名を知られるようになっていたようです」(同前)

 高度経済成長以降、はとバスは一気にその企画を多様化させていく。世は空前のレジャーブーム。1954年には銀座の東京温泉(日本初のサウナ施設)などを巡るコースが登場し、ダンスホールやヌードショーを楽しむ夜のコースも運行された。

 また当時の2大レジャーを一度に楽しめる「ボウリング・ゴルフBGコース」や羽田空港からセスナに乗って空の遊覧を楽しんだ後、平和島から浜離宮まで観光汽船に乗車するなど、バス以外の乗り物を使った「立体観光コース」まで登場。時間的にも空間的にも東京を楽しみ尽くすコースは、地方客のみならず、東京の人々をも魅了した。

 そして1964年の東京オリンピックと時を同じくして、空前の東京観光ブームが到来。この年のはとバスの利用者数は年間123万人と、過去最高記録を更新した。

©佐藤亘/文藝春秋

 はとバスOGの長谷井由紀子さん(75)は、その時代の熱気を肌で感じたバスガイドのひとりだ。

「私が入社したのは東京オリンピックの2年前のことです。もう死語かもしれませんけれど、あの頃のお客様は“おのぼりさん”っていう言葉がぴったりでした。女性は着物姿で男性は背広に山高帽。昔はみなさんおしゃれしていましたね。特に毎年10月の終わりから翌年の3月までは東北地方のお客様が多かったです。多くは農家の方で、農閑期に東京観光にいらしていたんでしょう。地方の方に経済的余裕があった時代だったんだと思います」