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はとバスの「バスガール」が経験した「東京五輪の熱気」と「地獄のような研修」

50年後の「ずばり東京」――はとバスは進化し続ける#1

2018/08/31

「中でも苦しかったのが教本の暗記でした。ガイドが喋る案内にはもちろん元ネタがあって、それらが記された教本は厚さ3センチほどもある立派なもの。新人ガイドたちは今も昔もそのネタ本を一冊丸ごと暗記しなくてはならないのです。乗車実習が始まると、教習担当の先輩、あとは会社のお偉いさんたちと一緒にバスに乗って、新人が代わる代わるガイドをします。どこを走っているときに当てられるかわかりませんから、全部覚えていないとダメです。中には覚えの悪い子もいて、お偉いさんから『あなたのところは確かご実家で商売をされていましたよね』なんて遠回しにリタイヤを宣告されたり。でもみんな、泣きながらでも必死にやってましたよ。だってバスガイドは当時、スチュワーデス、デパートガールと並ぶ花形職種。絶対ガイドになるんだという強い気持ちを持っていましたから」

バスガイドは花形職種だった ©佐藤亘/文藝春秋

ポニーテールをキュッと結って

 長谷井さんもまた固い決意を持ってバスガイドを志した人だった。

「高校の修学旅行を担当してくれたバスガイドさんが本当に親切でね。ポニーテールをキュッと結って、それは綺麗な方でした。その姿に憧れましてね、自分も絶対にバスガイドになりたいって。ところが父が非常に厳格な人で、将来は事務員にでもなっていいお嫁さんになりなさいと。だから父には内緒で試験を受けました。はとバス入社後も、父は長い間認めてくれませんでしたね」

 長谷井さんは33歳までバスガイドとして働き、その後は新人ガイドを養成する研修担当として勤務。両親の介護のために55歳で退職したが、10年前、60周年記念として企画された特別ツアーのガイドとして、再びマイクを握り始めた。

OGの長谷井由紀子さん ©文藝春秋

「やっぱり私はバスガイドの仕事が好きなんだなって改めて感じていますね。はとバスのガイドは、ただ案内したり誘導したりするだけの存在ではないんです。お客様に存分に旅を楽しんでいただくためにご奉仕する仕事。私は今もそう思ってます」

 長谷井さんが「忘れられないお客様」として話してくれたエピソードが、その言葉を象徴している。

「確か1968年に成田山のご本堂が新しくなったのですが、それを見に行くツアーの中にご年配の方がいらしてね。現地についてもバスから降りようとされないんです。聞くと、足が悪くてご本堂までの階段をとても登れないと。他の人に迷惑がかかるから、ここで待っているとおっしゃる。それで私、その方をおぶってご本堂まで登ったんです。バスに戻ったら手が痙攣してしまって、マイクを握れませんでした。そしたら後日、その方が会社宛にお礼を贈ってくださったんです。刺繍が施された綺麗なブラウスで。それは勿体なくて着られませんでしたね」

地獄の研修を耐え抜いた新人ガイドたち

 2018年5月5日。東京駅発の「東京半日Aコース」に私は乗車した。4月に入社し、地獄の研修を耐え抜いた新人ガイドたちが続々とデビューしていると聞き、長谷井さんの後輩たちを見届けに来たのだ。

 マイクを握るのは岩手県花巻市出身の髙橋実穂さん(18)。白い肌に赤みがさしたほっぺが可愛い東北美人だ。バスが東京駅を出発すると、まずは自己紹介と注意事項。その後は車窓の風景に合わせて、例の東京歴史トリビアが展開されていく。

 6回目の乗車となる髙橋さん。「緊張していますか?」と尋ねると、「慣れて来ましたけど、一回間違えると全部飛んじゃいそうで。気を抜くと訛りが出ちゃうので、それも気をつけないと」と苦笑い。昼食の時間も食べるのはそこそこに、教本を見て復習していた。