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はとバスの「バスガール」が経験した「東京五輪の熱気」と「地獄のような研修」

50年後の「ずばり東京」――はとバスは進化し続ける#1

2018/08/31

テープレコーダーのような新人時代

 そういえばOGの長谷井さんも同じようなことを言っていた。

「新人の頃はもうテープレコーダーみたいなものでね、アドリブなんて入れられません。困るのはお客様から茶々が入った時。特に関西方面からのお客様がいるときは大変。東京タワーと言えば『通天閣の方がいい』、銀座と言えば『心斎橋の方が賑やかだ』とかね。新人の頃はその茶々のせいで全部暗記が飛んでしまって困りました。関西方面の方は大抵東京駅発のコースに乗車されますから、東京駅発の日はちょっと憂鬱でした。その点、東北のお客様が多い上野駅発のコースは安心。みなさん物静かで、ガイドの解説を素直に聞いてくださったので(笑)」

 時々ヒヤリとすることはあったが、髙橋さんは無事全ての案内を行い、バスは終点の東京駅へ向かう。駅舎が近づいてきた頃、はとバスガイド伝統の歌、「東京のバスガール」を披露した。やや震える歌声ではあったが、車内には手拍子が起こり、年配の方の中には一緒に口ずさむ人もいた。

 過去10倍とも20倍とも言われたバスガイドの採用倍率は、近年一桁台だという。今や花形職種とは言えないが、髙橋さんはなぜバスガイドになろうと思ったのだろう。

「もともと接客が好きだったのですが、岩手の求人にはスーパーとかしかなくて。それで高校の先生に勧められて、バスガイドもいいかなと」

 彼女いわく、32人の同期の中には何かしらの消去法でガイドになった人も少なくはないらしい。しかしそんな意気込みで地獄と言われる研修を乗り越えられたのだろうか。

「暗記は大変でしたけど、やるしかないので。(バスに)乗ってしまえば意外となんとかなるものだなと」

©佐藤亘/文藝春秋

 じつにあっさりしている。これが平成生まれというものか。涙、涙の苦労話を期待していたこちらとしては、少々肩透かしにあった気分だ。

少女のようにぽろぽろと涙がこぼれた

 別れ際、「バスガイドはどんな仕事だと思うか」と有り体な質問をしてみた。あっさり塩味な答えを予想したが、意外な反応が返ってきた。

「数回しか乗ってない新人が生意気かもしれませんが、華やかというよりは、努力が一番なのかなって。お客様には表面的な部分しか見えてないだろうと思っていたんですけど、自分が頑張ったら、ちゃんとそれを感じてくださっているのがリアクションを通してわかるんです。楽しんでいただくには、どうしたって自分が頑張らないといけないんです」

 そこまで話したところで突然、ぽろぽろと涙がこぼれた。

「すみません、私、すぐ泣いちゃうんです。初乗車でも本社に帰って先生の顔を見たら泣いちゃって……」

 さっきまで40人超のお客さんの前でマイクを持っていたとは思えない、少女のような泣き顔。そうだ、この子はまだ東京に出て来てほんの2ヶ月の18歳なのだ。その胸にどれほどの不安を抱えて人前に立っていたかと思うと、こちらまで鼻の奥がツンとなる。

©佐藤亘/文藝春秋

 レモンイエローの制服に袖を通した日から、彼女たちはバスガイドになる。毎日東京の街を走りながら無数の人に出会い、徐々に成長していく。大切なのはそこからだ。それはかつて数十倍もの難関を突破してきた先輩ガイドも通った道だ。

「東京のバスガール」は、バスに乗り続けることでしか生まれない。東京観光に花を添えるはとバスガイドの魅力は、東京の街と人があって初めて引き出されるものなのだ。

 今も昔も東京の変化を体感してきたのはバスガイドだけではない。ガイドと同じく日々東京の街を走る運転士たちもまた、目まぐるしく変わる東京の空気を感じていた。

#2 工場夜景ツアー、怪談クルーズ……「はとバス」はなぜ不思議な企画を生み出すのかへ続く)

(出典=文藝春秋2018年8月号)