文春オンライン

70歳になった井上陽水。「紅白は恥ずかしい」発言とは何だったのか?

5代目志ん生のようにあふれ出す“ユーモア”

2018/08/30
note

 きょう8月30日はミュージシャンの井上陽水の誕生日だ。1948年生まれなので、ちょうど70歳を迎えたことになる。

「恥ずかしいから」紅白辞退

70歳の誕生日を迎えた井上陽水

 井上陽水といえば、いまから20年ほど前、彼がNHKの紅白歌合戦への出演を打診されて、「恥ずかしいから」を理由に断ったという話を思い出す。スポーツ紙でそれを読んだとき、当時勤めていた会社の大の陽水ファンの先輩と大笑いしたものだ。彼がオファーの電話を受けてそう口にする姿を思い浮かべると、よけいにおかしい。

 もっとも、「恥ずかしい」という言葉については色々な取り方ができる。単純に、ああいう華やかな場に出るのが恥ずかしいとも解釈できるし、あるいは、大晦日に大騒ぎする番組自体が恥ずかしいと、やや皮肉めいた感じにも取れる。いや、もっとひねって、自分を出すような番組には恥ずかしくて出られないという解釈さえ成り立つのではないか。……と、そんなふうに深読みさせてしまうところが、陽水にはある。

ADVERTISEMENT

「歌手はストリッパー寄りじゃないかな」

 なお、陽水の過去のインタビューを漁っていたところ、次のように「恥ずかしい」と発言しているのを見つけた。

《大体、人前で歌うってことが恥ずかしい。人前に自分をさらす職業に、たとえばストリッパーというのがあるでしょう。肉体を全部見せてしまう。対極にあるのが野球選手とかね、これは技術見せるだけ。音楽でもキーボードやギターってのは野球に近い感じがするけれど、歌手はストリッパー寄りじゃないかな。声は肉体ですからね。見る人が見たら、あ、この歌い手はゆうべセックスしたな、なんてすぐバレる》(『ぴあ』1993年9月21日号 ※1)

 人前で歌う、それ自体が恥ずかしい。紅白出演を断る理由にあげた「恥ずかしい」も同様の意味であったのだろうか。

 そんなシャイというか、含羞を備えた陽水だが、一方では饒舌の人でもある。筑紫哲也や沢木耕太郎は、雑誌で彼と対談したとき、話があまりに多岐におよびすぎて大半をカットせざるをえなかったと明かしている。そのあたりは、陽水が大きな影響を受けたボブ・ディランとはまったく正反対だ(ちなみに陽水は1978年にディランが初めて来日したとき、彼を家に呼んで麻婆豆腐を食べさせたかったと発言している)。一昨年のノーベル文学賞受賞時、授賞式を欠席したディランだが、もし「恥ずかしいから」を理由にあげていたら人々はどう反応しただろうか。