昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

ハーフがいる風景 #2――多様なルーツを背負う新世代

ムスリム、南米系……。「内なる国際化」と葛藤する

2018/09/23

source : 文藝春秋 2016年7月号

genre : ニュース, 社会, 国際, ライフスタイル

テロへの反発が出発点

 泉澤の母親も、実はそんなひとりだった。

「母は礼拝もしないし、外出時にチャドルも付けません。豚肉も家族には普通に食べさせていました」

 当然、泉澤は宗教と無縁に成長した。昨春、茨城県の高校を卒業して上京し、ひとり暮らしを始めた。夕刊紙を集配するアルバイトの傍ら、音楽プロデューサーを目指し、作曲をしたり、オリジナル楽曲を音楽サイトにアップしたりする毎日だ。

 都会の生活には、孤独もつきまとう。今年はじめ、街角でモルモン教宣教師の勧誘に足を止めたのは、心の隙間を埋めてくれる何かが宗教にはあるように思えたためだった。

「でも結局、モルモンの教会はしっくり来なかった。欧米人が多く、ボクみたいなタイプはいなかったし、偶像崇拝にも抵抗がありました」

 改めて母の国の宗教・イスラムに興味を持ち、ネットで調べると、そこには人種的な平等を重視する宗教であることがうたわれていた。

 5月の連休に帰省して、ムスリムになったことを母に報告した。「いったいなぜ? 誰かに誘われたの?」。母親は困惑した様子だったという。イスラム原理主義か何かにかぶれたのではないか。そんな心配がよぎったようだった。

東京のモスク「大塚マスジド」 ©共同通信社

 そうではない。彼の内面を掘り下げれば、むしろテロリズムへの反発を出発点にして、幼少期から「本来のイスラム」への漠とした共感が形づくられていた。

 9・11テロは4歳のときに起きた。ニュースの衝撃ははっきり覚えている。同居する創価学会員の父方の祖母は、イスラムへの嫌悪感を漏らしていた。

 子ども時代、周囲に母親を「インドネシア系のアメリカ人」と偽っていたのも、テロにまつわるイメージを気にしたためだった。浅黒いハーフならではの容貌にも、触れられるのは嫌だった。いじめこそなかったが、周囲との微妙な距離感から「自分は100パーセントの日本人ではない」と思うようになった。

 中学生になり、国際的に活躍するJICA職員に憧れた時期もある。独習でアフリカの飢餓や中東紛争の知識を得て、大国の利害に操られる国際政治の醜さも感じた。

 都会での孤独と音楽への情熱、そして世界貢献を夢見た日の記憶……。そんなバラバラの断片が、イスラムとの出会いをきっかけに彼の中でつながり始めている。

「いつか音楽家として成功し、ムスリムの立場から世界を変える影響力を持ちたい」

 目標を尋ねると、少年のように無垢な夢が、その口から溢れ出た。

 一般には、親の影響で幼少期にムスリムになる人がほとんどだ。大塚マスジドを運営する日本イスラーム文化センターのクレイシ・ハールーン事務局長はこう説明する。来日して25年になるパキスタン人だ。

「ハーフの子どもたちは高校生以下がまだほとんどですが、国際結婚する女性以外にも、新たにイスラム教徒になる日本人が多く、ムスリムコミュニティーの将来に不安はありません。自らの意思で入信する人は、もともとのムスリムより、熱心で真面目なのですよ」