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ハーフがいる風景 #2――多様なルーツを背負う新世代

ムスリム、南米系……。「内なる国際化」と葛藤する

2018/09/23

source : 文藝春秋 2016年7月号

genre : ニュース, 社会, 国際, ライフスタイル

酒席を断り続けた大学生時代

「自らの意思」の重要性。そのことはハーフの信仰にも当てはまる。

 ぼんやりと親に従って信仰を続けるより、一度はとことん悩み抜いたほうがいい。イスラム系ハーフの先頭世代となるバローチ・勇・アブドゥラは、そんなふうに強調する。

 青森県に両親や弟・妹がいるパキスタン系の25歳。この春、早稲田大学国際教養学部を卒業した。在学中は大塚に部屋を借り、モスクで知り合った年下のハーフたちの兄貴分として相談に乗っていたという。

 彼自身、「束縛の多いイスラムが嫌になり、2、3年、ほとんど信仰を捨てていた時期がありました」と打ち明ける。親の前でだけ戒律を守るふりをして、ごまかす日々だった。だがやがて、自ら文献を読み込んで信仰を取り戻すと、束縛感はなくなった。そういったレベルに達すると、“やらされている感覚”が一転し、それどころか、親世代も含めたイスラム圏出身者で漠然と信仰を続けるだけのムスリムが、不勉強に見えてくるという。

©iStock.com

 バローチの思春期は、アイデンティティーや人種差別にも悩んだ時期だった。9歳まで都内に住み、インターナショナルスクールに通ったが、中古車貿易を手がける父親に従って、一家はイギリスやアラブ首長国連邦、南アフリカといった国を転々とした。

「英語やアラビア語、ウルドゥー語を身につけることができましたが、日本に戻ったら日本語がほぼゼロになっていて、入れる高校がありませんでした」

 バスケット選手としてスポーツ枠で入れてくれる高校を、新たな定住先・青森で何とか見つけたが、部活動のコーチや教員に差別的な扱いを受け、わずか5カ月で衝突、中途退学することになる。それでも定時制高校に入り直し、一念発起、平仮名・片仮名から猛烈に勉強し、早稲田への進学を果たすことができた。

「海外にいたときは、自分にとって一番大事な国は日本だと思っていただけに、帰国直後の体験はショックでした。一時は日本に憎しみに近い感情も抱きました」

 イギリスやアラブ首長国連邦でもいじめや疎外感はあり、自分の国、という感覚はどこにも持てなかったという。イギリスと言えば、パキスタン系のロンドン市長が誕生しているが、そんな土地柄でも閉鎖性は感じたのか。

「ボクの知る範囲では、ムスリムの若者は一生懸命勉強して、医者やエンジニアなどいい仕事に就く人が多かった。来世への信仰と、現実社会への貢献のバランスをとる新世代です。でもそのことが、貧しい白人の嫉妬を買う面もありました」

 欧州のイスラム系移民には、テロ関連の報道で、底辺労働者のイメージが伝えられがちだが、中流社会はまた違った環境にあるらしい。

 容貌の違いや言語の壁に苦しんだバローチは早大入学後、宗教でさらなる隔たりが生まれることを恐れ、2年生まではムスリムであることを隠したという。体調不良などを口実になるべく酒席は避けながら、積極的に友人を増やす努力をした。

「でも、そんなやり方ではどうしても“広く浅く”の人間関係しか築けない。自分なりに勉強して信仰に確信も持てたので、これは、と思う相手には正直にすべてを打ち明けるようになりました。今では信頼できる友人が何人かいます」

 この春からバローチは、病気になった父親の仕事を手伝っている。まずは数カ月、パキスタンや中東の取引先を訪ね歩き、顔つなぎをしながら業務拡大の可能性を模索する。

「ボクの場合、マイカントリーと呼べる場所がどこにもない。そのことに悩み続けましたが、今となれば、どこにでも対応できる人間だ、と思えるようになりました。相手がナニ人でも偏見を持たずに付き合えるのが強みです」

 宗教については、何を思うのか。

「イスラム教の信仰は、生き方の指針のようなもの。神様と個人のことですから、結局のところ親や親戚は関係ない。きちんと勉強すれば、現代の科学技術と矛盾しない解釈も可能なことがわかります。押し付けられている感覚だと、宗教は無意味な束縛や義務にしか思えない。ボクはひとりで思い悩み、苦しみましたけど、年下のハーフにはできるだけ体験をアドバイスしていきたい」